会員作品

紅頬集 秀句佳句

 会員の方の作品集「紅頬集(こうきょうしゅう)」より、特に優れた俳句の選評「紅頬集 秀句・佳句」を転載しています。
令和2年(2020)7月号より、「紅頬集」の選は、田島和生主宰より鈴木厚子副主宰へ引き継がれました。それに伴い、選評も鈴木副主宰となりました。

令和3年(2021)

9月号 鈴木 厚子 副主宰

青田中水路一筋貫けり   大前 美智子(巻頭)

 一望の青田の中を水路が一筋貫いている。田の水が流れ出る勢いが白く見え、青田の緑をいっそう鮮やかにしている。豊作への豊かな水に心を寄せ、しんかんとした景が出ている。「貫けり」が良かった。省略のきいた句。作者は宇治の人。

すて舟をたたく川波青すすき   荒牧 久江

 捨てられた舟を川波が叩いていて、辺りには青すすきが青々と伸びている。すて舟の哀れさと青すすきのたくましさの取り合わせの句。風に乱れることをよろこぶような青すすきと川波に叩かれるままの舟、自然のなすがままを切り取っている。すすの韻を踏んでいてリズムがいい。「すて」「すすき」をひらがなで表記した工夫も上手い。作者は平塚の人。

病める子の窓に見ゆるは夾竹桃   佐々木 俊樹

 病んで臥している子の窓外は、明るく桃色の夾竹桃が見えていて、病室までが明るい。外窓の明るさとは対象的に 病む子に心が翳る作者。夾竹桃はインド原産の常緑樹で、江戸の終わりごろ渡来し、夏に桃色の派手な花を咲かせる。 被爆後の爆心地で一番早く咲いたのもこの花で生命力が強 いだけに、この花のように元気になってくれと、祈りながら見守っている。火竹桃を捉えたのが良かった。作者は東広島の人。

肌脱やへそを避けたる手術痕   岩﨑 利晴

 蒸し暑い日などは、肌を外気に触れさせたいので、肌着まで脱いで上半身裸になる。その裸を見ると、へそを避けて続く手術痕が見える。大手術だったよなと擦りながらよくぞ生き抜いたものよと、自分に言い聞かせながら暑さに耐えている。我が家なので無礼講といくかというのであろうか。作者は東京の人。

向日葵の窓を開ければ吾に揺れ   齊木 和子

 外は一斉に向日葵が咲いている。その窓を開けたら向日葵が自分に揺れたという。窓を開けた瞬間の向日葵の黄の明るさに驚き、よく見れば一斉に自分に向いて揺れてくれるではないか。向日葵の表情を捉えて、なんと可愛いことか。晴れ晴れとした空、山々のみどりが一段と静けさをさそう。爽快な句。作者は宮島の人。

鍬打てば汗の雫が土を打つ   津川  聖久

 汗だくになって鍬で土を起こしている。一鍬の度に汗がどっと流れ出る。土ににじむ己の汗を見ながら、一鍬に渾身を込めて土を起こすのである。耕運機を使わないで、一鍬一鍬丁寧に土を起こす方が土に空気が入るので、土にも作物にも大変良い。「打つ」のリフレインに労働の汗を静かに肯う見事な作。作者は尾道の人。

はやばやと紅薔薇闇にまぎれけり   藤谷 静香

 赤い薔薇がはやばやと闇にまぎれた。まだ小暗いのにと赤い薔薇を見つめている。お気に入りの薔薇であり、丹精込めて咲かせているのだろう。黒がかった薔薇の命を見事に句にしている。作者は三次の人。

睡蓮の葉に手をかけてしばし   飯野 武仁

 睡蓮は未の刻、つまり午後一時から三時ごろ水面に花をさかせ、未草ともいう。葉は水面にぴたりと浮かんでいる。その葉に亀が手をかけている景。水中の真ん中であれば、亀も安心して姿を見せ、手を葉にかけてのんびりしているのだろう。手はまこと人間のように指が五本あり、爪も細く先は尖り食いこむように鋭い。人間が手をかけているようだと見ている。作者は佐倉の人。

再放送に亡き人ばかり麦こがし   三河 四温

 コロナ禍で、新番組が製作できないためか再放送が多い。 画面に出てくる人は今は亡き人ばかりだという。確かにそうで、亡き人が演ずる名場面に惹かれ私もついつい見てしまう。転換して季語の「麦こがし」で決まった。麦こがしは「麨」といい、新麦を炒って臼でひき粉にしたもの。薫りがよく、暑さを消し、胃腸を整える。私の子供の頃のおやつで、砂糖を入れ、喧せてたべたものである。庶民の味で今では懐かしい代物だが、作者は麦こがしを食べながら、再放送の亡き人を忍んでいる。作者は岩手の人。

野外能中止の舞台に鹿の子かな   大谷 とし子

 薪能は夏の季。奈良の興福寺南大門前の般若の芝の上に敷舞台を置きその灯りで能が演ぜられる。それもコロナ禍で中止となり、なんとなく気になるので来てみた。すると、鹿の子がやって来ているではないか。いかにも奈良らしい光景である。作者は鹿の子のあいらしさにほっとしながらも、毎年恒例の野外能を見る奈良に生きる人の気息を感じる。作者は奈良の人。


指先にインクの滲むる緑の夜   曽根 和子
さやうなら言えぬ別れも遠き雷  大槻 ファンタジアム
自転車の籠に子犬や夕立あと   須藤 範子
雨蛙雨乞ひの唄恋の唄      太箸  真沙
我が母校更地となりて緑さす   長谷川 陽子
梅雨の雷喪服の裾を濡らし立つ  古岡 壽美惠
水無月のさざ波かぶり真珠棚   安藤 照枝
浮くほどに風を含みし麻衣    竹原  陽子
連なりて風待ちゐたり凌霄花   芝山 康夫
雲の峰カルデラ覗き込む二人   前田 節

令和3年(2021)

8月号 鈴木 厚子 副主宰

雨つぶに浮きくるゐもり手の黒し   椿 恒平(巻頭)

 池の面に枝を伸ばしている葉から、雨後の雨つぶが池面にぽたりぽたりと落ちている。その雨つぶに水底のいもりが浮いて来ている。浮いたときいもりの真っ黒の手が見え、ドキリとしたその瞬間を捉えた。やがて赤い腹を翻して水の底へ消えてゆく。守宮に形は似ているが、守宮は爬虫類で家守。いもりはイモリ科で両生類で井守。作者は大阪の人。

びは色の色のそのまま皿の枇杷   山岡ひろみ

 枇杷が皿の上に置かれている。太く大きくさぞ立派な枇杷なのだろう。一点の傷もなく、色むらもなく、びわ一色。これぞ「びわ色」と言うのだと、しみじみ見つめている。見れば見るほどほのぼのと心まで満たされていく。この色はどうしたら出るか、描いてみたいものだというのだろう。びわを漢字とひらがなで表現して、枇杷の美しさを写生している。作者は広島の人。

遠汽笛また遠汽笛枇杷熟るる   芝山 康夫

 眼前は夏の海が展け、沖を行き交う船が汽笛を鳴らしている。それが遠くに聞こえる。目の前の丘には灯を点すように枇杷が熟れている。海風に熟れる枇杷の色のなんとおいしそうなことよ。「遠汽笛」のリフレインで夏潮の青さ、生気が出て、力強さを感じる。広くて奥行きのある句になった。作者は千葉の人。

手の平の夏金なでたるランドセル   前田 節

 ランドセルを背負った児が夏蚕を手の平に乗せて撫でている。ただの青虫でなく「夏蜜」でいろいろなことが想像される。自分で飼っているのか、家か学校で飼われているのか、正体は分からないが、ともかく夏蚕で、脱皮を繰り返す五センチくらいの透明な蒼白色の繭になる前の代物である。児にとっても可愛くて仕方がない夏蚕。繭になるのを観察するのであろうか。作者は広島の人。

鳥獣に見下ろされゐる溝浚へ   雛 あられ

 街なかでも蚊の発生や悪臭などで溝浚えをする。田舎では田植えが始まる前に溝の通りが良くなるよう村をあげてする。この句は「鳥獣に見下され」で田舎だと分かる。鳥の声を頭から降りかぶり、獣の気配を感じながら、溝浚えをしている。昔ながらの住民の共同作業をしているのである。田舎では代々の田を守ると言う、半ば義務のようなもの。作者は神戸の人。

いつまでもしやがみし吾子の蟻の列   岩本 博行

 蟻の列を子がしゃがんで見ている。いつまでもいつまでも。「しゃがんで」に興味を津々な子の姿が具体的である。 納得のいくまで見なさいよと見守る作者のあたたかい目。子育ての見本のようなもの。作者は市川の人。

メガホンで叫ぶ白シャツ延長戦   青木 千春

 メガホンで叫ぶ白熱の延長戦。メガホンで叫ぶ白シャツで、少年の一途さがでている。勝ち負けはさておき一生懸命な姿は美しいと、見惚れている。作者は広島の人。

旅終る白シャツに染みひとつつけ   三河 四温

旅から帰宅して、衣類を畳んでいて、白シャツに染みを付けていることに気づく。どこで、何の染みをつけたのだろうかと、旅を顧みる。思いがけない染みによって、旅の思い出が更にリアルになった。作者は岩手の人。

友の忌や好みし豌豆届けたる   川西 蓉子

 亡くなった友が好きだった豌豆を届けてあげようと、自分で育てた豌豆を届けている。跳豆の季節が来ると、友のことを思いだす。亡くなっても尚思う友への生前の友情が見えてくる。なかなかできない心の尽くし方である。作者は廿日市の人。

ボート漕ぐ二人のかひな緑さす   曽根 和子

 見渡す限り新緑。その中をボートが進んでいる。二人漕ぎのボートで、二人の腕が力づよく光をはねて進む。満目の緑を二人のかいなに集めたように「緑さす」と表現し、大胆な措辞がよい。作者は船橋の人。

桐の花田水湛へし棚田かな     山口 和恵
空豆や母との時をゆつたりと    大前 美智子
渾身の赤子の一歩麦の秋      安藤 照枝
少年の背より高き捕虫網      斎藤 直子
コロナ禍のからつぽ電車芥子の花  橋本 園江
白牡丹くづるる中を人逝けり    友弘 和子
蛍烏賊まなこ飛び出し茹であがる  古岡 壽美恵
草笛の人それぞれの音色かな    神山 貴代
この守宮湯殿の隅に二泊せり    大谷 とし子
悠々と雷鳴の中亀泳ぐ       細野 健二
梅雨晴間二重線引き訂正す     竹原 陽子

令和3年(2021)

7月号 鈴木 厚子 副主宰

病む人を笑はせに行く子供の日   細野 健二 (巻頭)

 病気の人を笑わせようと見舞いに行っている。「子供の日」というので、孫か子供らと連れ立ちているのを想像する。ともかく病人の顔を見て元気を出させることが見舞いである。この気持ちが病人にとってどんなに嬉しいことか。誰しも思っているが、なかなかこうは詠めない。健康的で明るい作者の心根にはっとさせられる。意表を衝く句である。作者は八王子の人。

庫裏の裏彼岸の残り雪固し   大上 章子

 彼岸の墓参か寺参りをされたのだろう。庫裏の裏に屋根より落ちた雪が溶けないで残っているのを発見。よく見れば尖っていて固そうだ。こんな所で彼岸の日の残り雪に出会えるなんてと驚嘆。彼岸まで雪が残っているとはいかにも富山らしい。この雪は「彼岸の残り雪」と直感した作者の写生の眼も素晴らしい。作者は富山の人。

床の間の武者飾りにも茶を点てて   大前 美智子

 床の間のある部屋で茶を点てていたのだろう。お茶会かもしれない。その床の間には武者が飾られている。この武者飾りにも一服さしあげよう。戦国時代も一服点てて出陣したと聞く。湯気のうっすらと立つお薄が供えられ、部屋はお薄のよい香りがしている。作者は宇治の人。

干鰈軒に残して逝きにけり   三河 四温

 鰈を軒に干したまま逝ってしまった。亡くなる前日まで元気に働き、鰈の腸を抜き軒に干す作業を淡々とこなしている人だったのだ。亡き人の日常生活が切り取られていて、いっそう哀しみを覚える。作者は岩手の人。

百歳を看取りし朝や藤の雨   山岡 ひろみ

 百歳の人を看取った朝は、薄紫の美しい藤の花をぬらす雨がしずかに降っていた。絢爛と藤房を垂れた藤の花は、雨によっていっそう見事。亡き人は天寿を全うし、生きかたも嫋嫋として崇められ、まさに藤の花のようであったと、藤の雨をしみじみと見ているのである。藤の雨が動かない。作者は広島の人。

持ち寄りの野の花飾る仏生会   椿 恒平

 四月八日はお釈迦さまの降誕を祝福して、甘茶を振る舞い、花御堂を飾る。人々は野の花、例えば蓮華やたんぽぽ、山藤などの思い思いの野の花を持ち寄り、飾るのである。素朴で思いのこもった仏生会。今もその風習が大切に引き 継がれているのである。作者は大阪の人。

新緑や手の平つける谷の川   津川 聖久

 谷川に手の平を浸けている。辺りは新緑で、身の内も透けるような川の流れは新緑が映り、思わず手を浸けたくなったのである。「手の平」が具体的で、男の人らしい大きな手、しかも白い手の平が生き生きと見えてくる。みどり一色の気持ちのいい景。的確な写生に詩情がある。作者は尾道の人。

神域に桜蘂降るくれなゐに   阪本 節子

 神の境内だろう、神域に桜の咲き終わった薬が紅色に染まるほど敷き詰めている。桜の時期だと桜見物客で賑わっていたが、蘂が降る頃は人もいなくて、地を染める蘂は目を惹く。一面の「くれなゐ」に息を呑んでいる。神域で一層荘厳さが出た。作者は京都の人。

花吹雪城に向かつて上りけり   山田 流水

 花吹雪の中、天守閣を目差して上っている。桜と城は豪勢な取り合わせであるが、花吹雪で、花びらを払いながら、あえぎながら上っている。まだ天守閣は見えないかと、花吹雪のすごさ美しさを身をもって味わうことに哀しみがある。作者は大津の人。

絡み合ふホース伸ばして夏来る   布瀬川 大資

 絡み合っていたホースを伸ばしながら、いよいよ夏だと。これからはこのホースを毎日使うのだと、丹念に伸ばしている。案外にホースは長くて重い。「夏来る」に弾んだ気持ちが出ている。自然の気息と充実感。作者は日野の人。

ためらはぬ腕みづに入る蝉蝉の紐   前田 節
槍烏賊の刃に吸ひつきし糸づくり   宮坂 千枝子
菊根分け鉢よりはがす根の香り    宍戸 邦子
山笑ふ手帳に記す大き夢       竹原 陽子
夏の波足もとに来て透きとほる    大槻 フアンタジア
白藤や幼は砂に尻付けて       廣田 華子
青空や子等の数だけチューリップ   田中 廣美
北窓を開けて思案の詰将棋      芝山 康夫
青山椒友垣つひに施設入り      船原 律子
夜桜やよぎる列車の窓明り      藤谷 静香
二階よりバイオリンの音濃山吹    古岡 壽美恵

令和3年(2021)

6月号 鈴木 厚子 副主宰

涅槃図や我が身の居場所探しゐる   栗野 延之(巻頭)

 陰暦二月十五日を釈迦入寂の日として各寺院で釈尊の遺 徳追慕のために涅槃図を揚げ、遺教経を誦読する。作者は寝釈迦詣で、人間や動物が嘆き悲しむ姿を見て、自分だったらどこの場所で、どんな嘆きだろうかと自問している。読者まで涅槃の世界に誘って、一種幻妙な読後感を持つ。 あるいは、自分の死後のことかもしれない。面白い切り取りかたである。作者は浜松の人。

春雷や帰らぬ猫の欠けし皿   布瀬川 大資

 春雷一鼓が、帰らぬ猫の皿を照らしている。いったいどこへ行ったのだろうかと、心配でならない。餌がそのまま盛ってある皿をよく見ると、縁が欠けているではないか。そのことがいっそう不憫でならないのである。長い間その皿で食べていたのだろう。作者は日野の人。

微笑みに微笑み返しみすゞの忌   保光 由美子

 今日は三月十日。金子みすゞの忌だと、作者は「金子みすゞ」の童話集を改めて読み直している。何回読んでも詩は心にしみ、微笑めば、みすゞが微笑み返すようだと感じ、「微笑みに微笑み返し」と詠んで偲んでいる。みすゞの深い優しい眼差しを詩に感じていることがよく解かる。みすゞのよさが引き出された忌日の句である。作者は東広島の人。
(金子みすゞは詩人で、五百十二編を遺し、昭和五年三月十日、下関市にて、二十六歳の若さで、女児ひとりを遺し自害。享年二十六。)

耕人のそびら遥かに波がしら   芝山 康夫

海のそばに畑があり、耕す人のそびらは遥かなる海が開けている。ところどころに白い波がしらが立ち、晴れやか な紺洋の海。耕す鍬先にまで海光が届いていて、しんかんたる周囲。海の輝きをひねもす眼下にして耕人のたいとうたる気分がよく出ている。耕人で句に動きがでた。作者は千葉の人。

たどたどし本読む声と囀りと   埋金 年代

 字をやっと覚えたばかりの子が、たどたどしく本を読んでいる。外では小鳥の囀りがしている。まるでこの子を囃すようだと。と、と、との並列が効果的。普通なら、音が二つ出る句は成功しない。子の声がたどたどしいのと、鳥たちの恋唄の囀りの鮮やかさの音質の違いだろうか。うら うらとした日の光のなかのゆったりとした春のひと日を覚える。作者は聴覚からの面白さを素直に句にしている。作者は筑紫野の人。

朧月ただ一灯の無人駅   橋本 信義

 無人駅にただ一灯のみの明かりが点っている。外は朧月。潤みを帯びた静けさ暗さが、無人駅の一灯をいっそう鮮やかにしている。通りがけの駅か、いつも利用している駅かは分からないが、作者の滋光をあてたような心がこの句を成功させている。誰もよく見る景だが、誰も作品にはしていない。作者は東広島の人。

清明の空を開くや鳥の声   三河 四温

 清明は二十四節気の一つで、四月五日ごろにあたる。東南風の吹く春のよい季節という意味。清浄明潔な空が鳥の声で開かれた。「空を開く」とはなかなか言えないし、しかも鳥の声で開くのであるから。作者は朝の目覚にこれが清明の空かと、うち仰いでいると鳥の声がした。鳥の声で 開けたと直感したのである。そのつぶやきが、そのまま句になった。野も山も家々も昨日の姿と変わらないが、この 空の新鮮さ、鳥の声のなんといきいきとしている事かと。ちまちました景を一掃して、おおらかに把握し、表現した のである。作者は岩手の人。

露天風呂男女隔つる夕霞    岩本 博行

 夕霞が男湯と女湯を隔てている。山中のひなびた鉱泉宿の広い自然の露天湯だろう。実におおらかな景で、夕霞が面白い。客も数人。湯煙の立ち上がる温泉だろう。人間の好悪も美醜も男女の性も忘れさせるたのしさがある。作者は市川の人。

山肌の熊笹撫でて木の芽風   大上 章子

 山肌に人丈くらいの熊笹が群生している。熊笹の葉は手の平の大きさの鮨を包むのにも使われる笹の葉で、深緑の 艶があり、白い斑入りもあるが、遠くでもよく目立つ。木の芽吹きをうながす風に撫でられ、いよいよ緑を濃くし輝いている。「熊笹」が具体的でよく見えてくる。作者は富山の人。

コーヒーは庭にと決まる初音かな   山口 和恵

 「あら、初音だわ」と嬉しくなり、家人にも聞かせてやりたくて、コーヒーを庭で呑みましょうと決まる。梅が咲けば鶯はまだかと、そわそわと待ちに待つ。初音の頃はまだ鳴き声もたどたどしいけれど、鳴けば恋人に会えた気分である。その気分を家人と分け合えるなんて、コーヒーの芳醇な香りまで見えてくる。作者は東広島の人。


佳句の作品

花くぐり来てはないろの少女たち  太田 のぶ子
雪やなぎ路面にチョーク跡の濃く  前田 節
水盤の菜の花なほも天に伸ぶ    斎藤 直子
啓蟄や木登りする子見つめる子   木村 あき子
花を嗅ぐ顔を鴉に見られけり    大槻 ファンタジア
夕風や花首揺るる白牡丹      大前 美智子
方丈や四方の囀り集まり来     岩本 貴志
梨の花くくられゆるる棚し     中嶋 洋子
流れ雛岸の鴉のつつきをり     山岡 ひろみ
沈丁花低く香りて棺出づ      梅村 由紀子
鍵や十五の子らの旅立ちぬで    中島 麻美
啓蟄の大地を濡らす日照り雨    吉本 香代子
竹垣に絡みからみて花通草     古岡 寿美恵
さめやらぬ朝にひとひら飛花のあり  藤谷 静香
春の雨もうひと口と匙運ぶ      藤本 貴子
伎芸天の裳裾赤らみ椿東風      髙田 桂子

令和3年(2021)

5月号 鈴木 厚子 副主宰

菜の花や下校児畦に座り込み   吉本 香代子(巻頭)

 一面の菜の花畑だろう。その畦に下校児が座り込んでいる。菜の花の黄色が明るくて、児の顔まで花の色に染まり下校の解放感を味わっている。座り込むのが畦というところが具体的で、土に親しい田舎の児らしさを捉えている。 作者は香川の人。

先細る家系図よ寒卵割る   三河 四温

 家系の誰かが亡くなられたのだろうか。子孫が減り、我が家系図も先細るばかりで、この調子だとこれから先も更に減っていくだろうなと思いながら、寒卵を割っている。子の数が少なくなっている現在では仕方がないこと。自分の代は辛うじて、自分の血を次の代へ継ぐことが出来たと、寒卵の黄身の盛り上がりに心を寄せている。そして子は貴重な授かりだと、しみじみと寒卵に見入るのである。作者は岩手の人。

大雪や日ごと燐家の隠れゆき   大上 章子

 大雪で日ごとに隣家が隠れていくという北国の景。毎日降り続く雪に不安は隠せない。屋根の雪卸しをしないと家が壊れるのではないか、雪に閉ざされて日が入らないので暗いのも怖い。道路まで雪に閉ざされてしまうのであるから、隣家を訪う事も出来ず、毎日窓から見て、安否を気遣うしかない。この句はそうした雪国の冬の暮らしぶりが詠まれている。私が金沢の仮寓で、一夜にして自家用車が雪に埋もれてどこにあるのか分からなくなったことがあった。そこでの生活は毎日雪かきをして、消防車が出入りできるように住民が協力していたことを思い出す。作者は富山の人。

ひたすらに降りつつ溶ける春の雪   布瀬川 大資

 牡丹雪のように水分を含んだ大ぶりの雪は、降り続けながら溶けていく。地熱の温さもあろうが、こんなにもひたすら降りつづけても積もらない。春の雪だなとしみじみと見ている。そこはかとない春の訪れを愉しんでいるのである。作者は日野の人。

スコップに予報はづれし春の雨   藤原 幸子

 来て見れば、スコップの窪みに春の雨が溜まっているではないか。予報では雨とは言わなかったのにと思いつつも、この雨が土に浸みこんで、スコップも楽に扱えるとよろこんでいる。錆びたスコップに思いがけない雨を発見した喜び。は、はの韻を踏んだリズムの良さ。作者は三次の人。

春泥の乾いてをりぬ試歩の杖   遠山 美咲枝

 試歩の杖に春泥が付き、乾きこびりついている。それを丁寧に拭いながら、春を感じている。試歩に幸先の良いことよ、一日も早くしっかりと歩けるようになりたいと、春泥に励まされているのである。作者は呉の人。

沈み木の枝這ひゐたり豆田蜷   岩﨑 利晴

 倒木が水に浸かっている。澄んでいる川によく見れば枝を這うものがいるではないか。木はもう長い間水につかっていて、田蜷も安心して川底のような感覚で這っている。こんな所に田蜷がいるなんてという驚き。しかも小さな田蜷 、おうおう...大きくなれと声をかけている。作者は東京の人。

宿題の算数ひろげ雛の間   芝山 康夫

 雛が飾られた華やかな間で、宿題をひろげて、一心になにか考えている。何の宿題かと見れば算数。遠くをみるでもなし、ひたすらうつむいて計算をしている。そうした数字と雛のあでやかさの落差を面白く感じている。作者は千葉の人。

手を振れる立春の影まだ長く   住友 幸雄

 遠くの挨拶か、別れか分からないが、お互いに手を振り合うている。作者は己の手の影が地にあることに気づき、影はまだ長い。そういえば今日は立春だったな、と。影はこれから短く濃くなってゆくのだと、春の季節を影で意識している。作者は佐倉の人。

春一番浮き出る錆の沈下橋   川添 弘幸
 
 春一番が吹き、木々が揺れている。沈下橋の掛かる川も波が立ち、沈下橋を濡らしている。作者は沈下橋を渡りながら、錆びの浮き出ていることに気づく。欄干がなく、波を受けながらの橋なので錆びは当然であろうが、素朴な自然のままの沈下橋と、春一番の取り合わせが上手い。あわせてひろびろとした川の全景が見えてくる。四国の四万十川には沈下橋が多い。作者は高知の人。

立春の朝日を受けて雨戸繰る     古岡 壽美恵
独り居の子へさみどりの春セーター  斎藤 直子
沈丁花ただ一輪の香り立つ      出浦 洋子
春の月水の溢るる一の宮       阪本 節子
春日差す御苑の鳩へ幼児へ      大前 美智子
立ち雛を飾りながらや来し方を    鈴木 逵子
枯れ色の庭に隣りの落椿       深田 豊子
病む人にカーテン開き水温む     橋本 園江
馬の目の長き睫毛に春の雪      山本 好子
下萌や瓦礫ばかりと思ひしに     青木 千春
衣の裾を乱す西風雪まじり      世羅 智子
紙雛両手広げて流れゆく       竹原 陽子
啓蟄や目玉ぬけたる埴輪像      友弘 和子
はだれ雪坂道ゆけば日のまぶし    堀田 ちえみ
枯蓮に音を残して風消ゆる      真部 宣則
引き潮へ長き息かけ流し雛      中島 麻美


令和3年(2021)

4月号 鈴木 厚子 副主宰

初雪のひらりと消ゆる手の平に   古岡 壽美恵(巻頭)

 あゝ初雪だと、手を差しのべ、手の平に受けている。初雪は花びらのようにひらりとひるがえって消えた。あっという間の事。華ぐ心で、いとしいものを見ているように、初雪のいのちを捉えている。年を重ねても、いつも乙女の心で感動を詠っている。作者は市川の人。

釣釜の大きな鐶の揺らぎかな   大前 美智子

 茶事では冬の茶釜は炉にかけて湯を沸かすが、三月に入ると、この釜は、天井から自在鉤を用いて吊る。それを釣釜といって春の季語。そして五月に入ると風呂釜になって畳の上に据えられる。作者は釣釜の両脇に付いている鉄の大きな銀の揺れにはっとしている。釣釜の不安定さに湯を汲む柄杓の触れで揺れたのだろう。茶室は水を打ったような静けさで、湯の沸く音のみで粛然としている。流れるような美事なお手前が続いている。環の揺れも見逃さないで、茶事の心ゆたかさを味わっているのである。作者は宇治の人。

猫柳とほき波よりひかり呼び   太田 のぶ子

 遠波が白く線を描き、まるでひかりを呼ぶように打ち寄せてくる。岸には芽吹く木々、殊に猫柳のふっくらとした輝きが春の訪れを告げている。「ひかり呼び」に沖より手をつなぎ来る白波の輝きが感覚的に描写され、波音まで鮮明。猫柳の芽吹きを囃すような波の音である。作者は姫路の人。

碁敵と鶯餅を頬張りぬ水   芝山 康夫

 碁を始める前か後かは分からないが、共に鶯餅を頬張っている。ひと息つくときは碁から離れて「おゝ鶯餅か、春だなあ。初音は聞いたか」等、鶯餅から話題をひろげている二人の関係が見えてくる。「頬張りぬ」に遠慮のない長年の付合。作者は千葉の人。

立像の柔らかき線冬木の芽   津川 聖久

 立像は女性の裸像であろう。柔らかくしなやかな線。冬木の芽に囲まれていることで、像の線がいっそう柔らかく感じられるというのである。作者は寒さにコートの衿を立てながら裸木を見上げると、芽吹きの尖りを発見。まだ肌を突きそうな芽である。そしてやおら、裸像を見返る。取り合わせが斬新。作者は尾道の人。

味噌仕込みをへて厨に夕日かな   藤原 幸子

 厨に夕日が届いている。あゝもう夕方かと気付き、味噌の仕込みに一日中かかったと。これで今年一年みそ汁が頂けると、安堵と感謝の気持ちでしみじみと夕日を浴びている。 豆も畑で育てすべて自給自足の生活ができる。達者さ、働けるよろこびが滲み出ている。九十歳の作者は三次の人。

左義長や囲ひは雪の高き壁   大上 章子

 左義長は小正月の火祭行事。新年の飾り物を集めて、雪の高い壁に囲まれて焼いている。雪掻きをした後の雪が積もって、高い壁になっているのだ。その雪は寒さで解けない。そうした雪の壁に炎が映り、さぞ美しいことだろう。 雪国ならではの景である。作者は富山の人。

寒紅梅貨物列車の停る駅   松浪 政子

 駅に寒紅梅が咲き、香りを放つほど大樹。長い運搬の貨物列車が停るという駅なので、かなり大きな駅で、工場があり、貨物の荷が降ろされる。乗降の人もなく、荷だけの駅は殺風景。そんな駅を寒気さ中に花ひらく紅梅が鮮やかで美事だというのである。貨物列車と寒紅梅の取り合わせの妙。作者は大竹の人。

骨揚げの骨の太さよ冬日和   太箸 真沙

 亡くなった人の骨揚げをしている。その骨の太さに驚き、体格の立派だったことを偲んでいる。なのに、死んでしもうてと、無念さがいっそう慕る。外に出ればからりと晴れた冬日向が目に沁みるばかり。いっそう切なさをさそう。作者は浜松の人。

塩田のひとつひとつに初日かな   住友 幸雄

 塩田というと塩の白さも想像する。広い塩田の中を更に塩田が仕切られている。沈澱の濃淡があるのだろうけれど、そのひとつひとつに初日が届いている。初日の無垢のかがやきが塩田の白さをいっそう引き立てているという大景。作者は佐倉の人。

初富士へ波押し上げて船出かな  荒巻 久江
ひらがなの名前の太しお書初   斎藤 直子
水仙の土手の向かうに水平線   堀田 ちえみ
着初めの腰紐ぎゆつと締め直す  吉田 孝子
寒梅の白一輪へ歩を寄する    布瀬川 大資
嘴あとの柚子も浮かべて長湯かな 山岡 ひろみ
張り詰めて空へ近づく冬の川   竹原 陽子
幾筋も長きままなり夕氷柱    世羅 智子
ころころと小石転がる雪解川   友弘 和子
コロナ禍の寒九の水を飲み干せり 青木 千春
待ちわびし大き荷ほどく雨水かな 三河 四温
幼き手で氷柱に触るる雫かな   辻井 康子
大樟と真向き合ひたる余寒かな  中島 麻美

令和3年(2021)

3月号 鈴木 厚子 副主宰

穏やかな波の光や蜜柑山   世羅 智子(巻頭)

 穏やかな波に光がのって、鏡のような海面。山肌には熟れ蜜柑が朱色の花のよう。その一つ一つに穏やかな波の光が届いていて、甘さを増す。瀬戸内海の蜜柑山である。さらりとした表現だが、自分の詩情を大事にした滋味のある作品となった。作者は広島の人。

正月の絵凧字だこの絡みあふ   青島 眞澄

 凧は本来春の季語。しかもこの作者の浜松は、浜松祭の中心行事の凧揚合戦が有名。五月三~五日の中田鳥砂丘で大凧をあやつって凧糸を切り合う豪快さは迫力がある。しかしこの作品は正月の凧の絵凧と字だけの凧が絡みあうという眼前を詠んでいる。凧合戦へ向けての練習かどうかは わからないけれど、平素から凧揚げは盛んなのだろう。絵凧と字凧というだけでも臨場感はあるし、その糸が絡んで自由を失った凧がおもしろく見えてくる。作者は浜松の人。

藪柑子啄む鳥も赫らみて   住友 幸雄

 庭木や山林の陰などに、膝丈くらいの小灌木に赤い実が二三粒ぶらさがっているのを見かける。これが藪柑子で、 新年の蓬萊台に用いられ、赤の鮮明な艶やかな実が、万葉集などにも歌われている。盆栽などにもめでたいものとし て愛好されている。その藪柑子を鳥が啄んでいるではないか。口嘴をいっぱいにして、ようやく一粒を飲み込む、そ の満足気な鳥は体まで赫らんでいるようだというのである。つぶらな藪柑子の実がいきいきと捉えられている。作者は佐倉の人。

揚羽子や元禄袖の蝶のごと   西村 みづほ

 羽子板遊びをしていて、羽子が揚がるたびに、袖の短い元禄が蝶のように舞っている。現代も女の子が晴れ着を着て羽子板遊びをしているなんて、いかにも京都らしい。 羽子を打つ音がかろやかで、少女たちの笑い声がひびき、 疫病の世を吹きとばしてくれている。作者は京都の人。

寒暁やチェーンを巻きしバス走る   佐々木 俊樹

 寒の夜明けで、まだ太陽も顔を出しきらない薄暗さの中、最も寒さが厳しい刻。タイヤにチェーンを巻いたバスが凍てた雪道に鎖を食い込ませ、音をたてて行く。鈍重な巨体のバスが鎖の音をさせ、あたりの寒気を震わせていることに、作者も身震いをしている。簡明だが、秘めた感性の鋭さ。作者は東広島の人。

雪晴の野に布晒す草木染   椿 恒平

 雪原に草木染の布を晒している。長い布を引っぱり合って雪に晒している景をテレビで見たことがある。雪原がまぶしく、雪で色を引き締め、色褪せないためだという。雪晴れの野を想像するだけでも美しいし、草木染の色も鮮やかだ。風土に根ざした作品で鮮明な一語に尽きる。作者は 大阪の人。

骨折や冬芽の固きしだれ梅   山岡 ひろみ

 どこの骨を骨接されたのか分からないが、何を見ても作者の目に映るものは冬芽の固さである。しだれ梅を見ても固い冬芽が先に目に入り、このしだれ梅が満開のころは骨接も癒えていることだろうと、いうのである。自然に目を向けて骨接の痛さに耐えている作者。広島の人。

元旦の雪で明けたる静けさよ   吉田 孝子

 広島市内の元旦は雪で明けた。雪のおかげで静けさをともない、雪の清々しさにめでたさを感じている。温暖な広島では雪はめずらしく、戸を開けて雪を愛でている。単明をきわめた作品で、なにかしら寂しさも感じる。作者は広島の人。

冬の虹乗船の間に消ゆるなり   齊木 和子

 乗船しようとしたら、冬の虹を見つけた。乗船して、ゆっくり眺めようと楽しみにしていたのに、乗船して捜すけれど消えてしまっていたのだ。冬の虹という目を惹く艶麗はひとしおだが、すぐに消えるということを知った。はかない孤愁を感じつつ余韻にふける作者。宮島の人。

初晴や阿夫利嶺ひだを深くせる   荒巻 久江

 阿夫利嶺は丹沢山地の南東、厚木、伊勢原、秦野三市にまたがる標高一二四六メートル。雨乞いに霊験あらたかという雨降山の異称がある。阿夫利嶺を打ち仰ぎながら、初晴れで懐の深さを感じ、その雄々しさに淑気さえ覚えている。「初」の一字に千鈞の重みがあるというのである。作者は平塚の人。

隣家へと風呂敷包み女正月    川添 弘幸
寒禽や城址の中に我が母校    古西 純子
心よき日の照り返す今日冬至   古岡 壽美恵
竹串の穴の人参夫の皿      前田 節
餅花やほつぺにひとつ飴を入れ  竹原 陽子
爼板に身を硬くする海鼠かな   水野 春美
寒満月けふの看護を終へる道   廣田 華子
声にして一句認め初硯      志賀 理子
木造りの天守時雨の中に立ち   岩本 貴志
月明り梅満開の香りかな     福島 敦子

 

令和3年(2021)

2月号 鈴木 厚子 副主宰

うすら日の木肌に照るや冬木立   居相 みな子(巻頭)

 冬木立の木々の肌にうつすらと冬日が照っている。木の 肌に焦点を絞ったことによって、一本一本の裸木が見え、 いっそう深閑とした冬木立となった。地には裸木の影もあ り、日筋となって神秘的。作者は宇治の人。

揺り椅子の膝に散り来る楡黄葉   布瀬川 大資

 庭に楡の大樹があるのだろう。楡の散り黄葉が揺り椅子 に腰かけている自分の膝に飛んできた。その一枚を手にとって、あらためて、楡の木を見上げている。いろいろの思い出をたどりながら。楡は中・四国・九州の温暖地では 見かけないが、北の国に多く、一見櫟に似ていて葉のまわりがぎざぎざで、黄葉は美しい。作者は日野の人。

綿虫や日の翳りたる駐車場   世羅 智子

 だだ広い駐車場が薄暮となる中、綿玉のように綿虫が浮 遊しているではないか。一匹手に取ってしげしげと見つめ、 どこから飛んできたのかしらと周囲を見渡すが、樹木らしいものもなく、コンクリートの駐車場が広がるばかり。何 もないだけに暮色に漂う綿虫は一段と幻妙。作者は広島の人。

一茶忌や利根にひと筋煙立ち   岩﨑 利晴

 利根川に沿いひと筋の煙が立っているのを発見。秋収め の煙だろうかと見つつ、今日は小林一茶の忌日だ(陰暦 十一月十九日)と思い起こしている。一茶もこの辺りを駆けて葛飾派の俳諧師で身を立てていたのだろう。境涯俳句 を詠み、『七番日記』を遺したなーと、一茶の生涯を偲ん でいる。ひと筋の煙から一茶に及ぶなんて。作者は東京の人。

鱈汁や身はほろほろと骨太し   古西 純子

 鱈汁を味わっている。身が厚く柔らかく、箸先でほろほろと崩れ、骨に達すると、骨が太く、しっかりとしているのに驚いている。立派な鱈だったのだと気づく。雄の白子も美味。鱈によって北国に活気がよみがえると言われているが、「骨太し」に作品の背景が出ている。作者は小松の人。

とびついて腕ぎたるあけび友と食ぶ   木村 あき子

 友人と吟行か散歩していて、あけびの実を見つけた。少し高い所だったが、とびついてやっと腕ぐことができた。紫の楕円型の実を手にし、これこれ、昔よく食べたものよと、懐かしんで見惚れている。熟れた上品な味わいの果実 を友と惜しみ惜しみ食べている。「とびついて」に臨場感 が出た。作者は船橋の人。

水底の岩に落ちつく木の葉かな   飯野 武仁

 木の葉が水底の岩にまで落ち、岩の上にひらりと止まり、落ちつくという。水が透き通っていることがわかる。「岩 に落ちつく」に木の葉に命があるように見ているのがいい。
作者は佐倉の人。

膨める薬袋や神の留守   前田 節

 処方箋通りに薬をもらうのだが、その量が多く、薬袋が 膨らんでいる、手渡す作者は薬剤師で、この薬がないと生 きていけない患者だと思うと「お大事に」と言って膨らんだ薬袋を渡す。「神の留守」とは関りなく眼前には現実があると思いながら神の留守の季を思っている。作者は広島 の人。

岩肌に白き筋引き秋の水   保光 由美子

 岩肌を白い筋を引いて水が流れている。滝ほどの勢いの ある水ではなく、白い筋になって流れるその清冽さを秋の 水だと直感。秋の水を白い筋で鮮明に描いている。作者は 東広島の人。

明日にも鈴なり檸檬収穫を   矢吹 通子

 鈴なりの檸檬とはめずらしい。枝をたわます檸檬を見な がら明日にも収穫だというのである。なんということもな い平明な句だが、蜜柑や柚子とは違う。檸檬の鮮やかな黄、その形その芳香、もの音ひとつしない秋の昼。自然と人の 微妙さを思う。作者は大和郡山の人。

佳句の五句
弧を描きて雪吊りの縄宙へ投げ   田浦 朝子
箒目に十一月の日和かな      芝山 康夫
中天に書割のごと今日の月     小林  秀
小春日や漬樽洗ふ水はじき     福田 美和
梢くべて長湯勧むる宿あるじ    亀田 喜美惠
飛鳥路の煙り幾筋冬隣       安藤 照枝
お汁粉の餅膨るるや模試の朝    志賀 理子
コロナ禍でいつの間にやら師走かな 高垣 美智代
木肌の皮十一月の日にゆるび    廣田 華子
がばつと浮き落葉咥へて池の鯉   橋本 信義

令和3年(2021)

1月号 鈴木 厚子 副主宰

石山に紅さし始む神無月   黒川 愛子(巻頭)

 石を削る山、高砂市の龍山で、昔は城の崖石になり、現在も建築の材として産出されている。その削られていく白い山肌に紅が差し始めたと感受。毎日眺めていてこそ気づく。しかも神さまが出雲へお出かけになってしまった淋しさの中でという。リズムもよく感覚が素晴らしい。作者は 高砂の人。

しやがむ児のさらに目の下秋の蝶   岩本 博行

 しゃがみ込んでいる児のさらに目の下を秋の蝶が飛んで いる。寒さでだんだん元気がなくなり、秋光に漂う蝶。それゆえに、低くそして鮮やかだ。はかないいのちの必滅のわびしさが「しゃがむ児のさらに目の下」と低さを具体的に写生している。作者は市川の人。

秋の暮顔見えぬまで話す人   細野 健二

 「顔見えぬまで話す人」に、釣瓶落しの秋の暮がよく出ている。本人同士はさほどでなくても、第三者には顔も見えないだろうにと。なんの衒いもみせず、季節の変貌を鋭く捉え、日常の生活をさらりと詠んでいる。作者は八王子市の人。

白秋の光差す午後父逝きぬ   斎藤 直子

 「白秋の光差す」に澄んだ空気、山々が粧っている秋日の美しい中、しかも暖かい午後に父が亡くなった。「白秋」の語に神に召された父への静かな祈りと尊敬の念が出ている。作者は八王子の人。

銀漢の海の真闇へ真つ逆様   中島 麻美

 天の川が海の真闇へ真っ逆さまに落ちていくようだと、 胸のすくようなスケールの大きい句。「銀漢」としたことで神秘さが出た。作者は長崎の人。

掘る度に笑ひのおこる甘藷不作   本池 和子

 「甘藷不作」で、粒が小さく根が長いばかりで、掘る度に笑いがおこる。期待はずれの甘藷だが「笑ひのおこる」 に救われる楽しさ。土まみれになった笑顔が見えてくる。作者は高砂の人。

松手入れ地下足袋しかと幹とらへ   辻井 康子

 「地下足袋しかと幹とらへ」に、長地下足袋で身軽く幹を捉えながら登ったり下りたりしている庭師。一本の松の手入れを梯子なしで、その熟練技の美しさに見惚れている。 作者は広島の人。

名月や電話は嬰の喃語かな   糟谷 光子

 外は名月の明るさ、電話に嬰の声がしている。幼児は何をしゃべっているのか判らないけれど、ともかく元気でいることがうれしく幸せである。たいへん明るい夢のある句。 作者は高砂の人。

姉帰る木犀の香の闇夜より   前田 節

 姉が帰って来る。「木犀の香の闇夜より」に、久々に逢う姉が勤務を終えて靴音をさせて、さっそうと帰って来る。木犀の香る「闇夜」という把握に作品の背景を展き、内容を深くした。 作者は広島の人。

紅葉晴疫病(えやみ)鎮めと火を渡る   田浦 朝子

 「疫病み」はコロナだろう。鎮まれと願いながら火渡り神事の火を渡っている。周囲は紅葉の山々で、しかも日本晴れ。火渡りの火と紅葉の色、すべて錦繍の秋の一日に疫病みも鎮まったにちがいない。作者は船橋の人。

小流れの奥へと石蕗の花明かり  世羅 智子
艶やかに油に馴染む秋茄子    西部 栄子
菊日和石橋木橋渡りけり     山岡 ひろみ
立冬や玄関の戸に油注す     芝山 康夫
新聞を見開く音と秋の日と    佐々木 俊樹
男来て落葉掃きゐる尼の寺    荒巻 久江
夜学生の走る靴音十三夜     古岡 壽美恵
鳶の輪の海にひろごる菊日和   熊谷 キヨヱ
一踏み込みて出口わからぬ芒原  橋本 園江
虫籠を玄関ぐちに通し土間    青木 千春
横ゆれて歩道横切る枯蟷螂    宮坂 千枝子
サッカー少年滴る汗と満天星   伊藤 佳子