会員作品

紅頬集 秀句佳句

 会員の方の作品集「紅頬集(こうきょうしゅう)」より、特に優れた俳句の選評「紅頬集 秀句・佳句」を転載しています。
令和2年(2020)7月号より、「紅頬集」の選は、田島和生主宰より鈴木厚子副主宰へ引き継がれました。それに伴い、選評も鈴木副主宰となりました。

令和4年 (2022)

5月 鈴木 厚子 副主宰

海と川つながるところ小夜時雨   大槻フアンタジア(巻頭)

 川から大海へ出る海水混じりの河口。その行くては荒海か穏やかな瀬戸内海は分からないが、夜目にもさざ波が立ち濁れていて、それを鎮めるように小夜時雨が降る。小夜でも光る時雨の視覚的な描出。しみじみとした味わいの作。作者は広島の人。

負けるなと祖母の口癖麦を踏む   川添 弘幸

 麦踏みをしながら、そういえば祖母が「負けるな」と口癖のように言っていたなあ、と思い出す。麦の芽は踏んでこそ強く育つので、「おまえも麦の芽のように辛い経験を積んで逞しく育ってくれよ」「負けるなよ」と。いまさらながら祖母の諭しをほろ苦くかみしめている。祖母の言葉 がそのまま詩になるとは、やはり体験は強い。作者は高知の人。

日を受けて氷柱の先のふくらめり    辻野 浩子

 朝日に溶けてゆく氷柱を丁寧に写生。日を受けながら「氷 柱の先のふくらめり」まさにその通り。そして滴り落ちていく。この句はまだ滴りおちてはいない。落ちるまえのふくらみを捉えている。氷柱は実にゆっくりと形を変えていく。わたしも今年ほど氷柱を見たことはないし、見るたび に日差しに形をかえていた。作者は日野の人。

本捲る指の乾きの余寒かな   橋本 信義

 本を捲るのに指先が乾いていてうまく捲れない。己の唾気を得て捲ることが多い。歳を重ねていよいよ油気もぬけたと指先に老いを感じ、余寒を覚えている。作者は東広島の人。

鬼は外となりの声は代替り   岩﨑 利晴

 隣も「鬼は外」と大声を張りあげて豆まきをしている。その声は息子さんの声だ。いよいよ代替わりをされたと、 聞き入っている。二代同居を想像するが、どちらも立てて仲良く生活されている隣人であろう。「鬼は外」の一声でいろいろなことが想像されておもしろい。 作者は東京の人。

蕗の臺摘み行く家族かたまりて   廣田 華子

 蕗の墓を摘むのに、家族がひとかたまりになって散らばり摘んでいる。声を掛け合っているのだろうか、遠目にも家族だということがわかる。蕗のはどこにでも生えはしない。根を張りながら増えていくので、ひとかたまりに増えていく。「家族かたまりて」が路の墓の特徴を衝いている。 作者は広島の人。

釣小屋の氷柱斜めに封じ籠め   堀田 ちえみ

 岸辺か海上か分からないが、海に近い所に釣小屋がある。その小屋の軒に氷柱が斜めに垂れている。氷柱は入口もふさぎ、小屋を封じ込めるように先は尖り長い。しかも斜めに小屋に刺さるように、まるで小屋は封じ籠められたようだ。厳しい寒風で氷柱は刃物のように豹変。厳しい寒さを 氷柱で写生している。作者は広島の人。

春眠や子の目覚しの鳴り止まず   神山 貴代

 子の目覚し時計が鳴りやまない。よく眠っているのだ。「春眠暁を覚えず」とはよく言ったもんだ。その通りで、 健康そのものの我が子。しかし起きなければならないのだろうにと、そわそわと落ち着かない親。作者は船橋の人。

病む友の文字の乱れや冴かへる   橋本 園江

 手紙をもらう友の文字が最近乱れてきた。病が重いのだろうか。乱れた文字に「冴かへる」を覚えている。元気な時の文字がしなやかなだったので、その落差に驚きが隠せない。本人は気がつかなくても、字にはすぐ表れるのである。友の安否を字で見抜いている。作者は東広島の人。

常盤木に降りてつもらじ春の雪   木坂 弘子

 大方の雑木が秋冬に落葉して裸木になる。これにたいして、常盤木は緑の葉を保ちながら目立たずいつの間にか古葉を落としている。その緑に整った葉の常盤木に春の雪がさらさらと滑り落ちていく。「降りてつもらじ」が言い得 ていて、常盤木らしい。常盤木に焦点を当てて春の雪の儚さを詠んでいる。作者は高砂の人。

図書館の窓いつぱいに梅の花     竹原 陽子
末黒野や堰堤の水光り落ち      津川 聖久
大阿蘇に野火這ひ上る夕まぐれ    椿  恒平
蕗のたうひとつに弾む会話かな    山岡 ひろみ
雪やけの水菜一株ひとりの餉     吉田 孝子
雛流す平家亡びし馬関瀬戸      友弘 和子
反抗期今朝は笑顔の卒業生      山本 好子
紅梅に山門の影せまり来る      藤本 貴子
ふりしきる雪のとばりに紅椿     藤谷 静香
エビフライみんな尾を上げ寒の明   三河 四温

令和4年 (2022)

 

4月号 鈴木 厚子 副主宰

元旦の新聞匂ふ座敷かな 田子 正流(巻頭)

 元日の朝に届く新聞はどの新聞社も部厚く重い。それが置かれている座敷は新聞の匂いに満ちている。まだ誰も触れていない、真っさらな印刷の匂いがすがすがしい。正月でゆったりと時間をかけて新聞が読める嬉しさまでつたわる。間明直截で分かりやすい句。作者は奈良の人。

新宿のビルの谷底虎落笛   大槻フアンタジア

 作者は東京の新宿の高層ビル街を見上げて歩いている。高層ビルがずいぶん林立しているなと感心しながら。その時、まるで風神の雄たけびのような笛を聞く。これは虎落笛だ。樹々の靡きもなく、無機質なコンクリートの底の虎落笛。「ビルの谷底」が意表を突く。大都市のど真ん中での虎落笛とはおもしろい。作者は広島の人。

廃校の窓ひとつひとつに冬日燦   太箸 真沙

 現在は廃校になっている校舎の窓のひとつひとつに、冬晴れの日差しが燦々とかがやいている。短日の冬の日であるだけに、窓の「ひとつひとつに」が生き、冬日の遍照をも感じて、作者の心懐が出ている。作者は浜松の人。

九十九里浜(くじゅうくり)波裏返し寒稽古   梅本 重一

 九十九里浜と言えば、千葉県の太東岬から行部岬までの太平洋に面する砂浜海岸。長さ約六十キロ、黒潮と親潮の出合うところ。その浜に波が裏返り、白波が立っている。その海に入って声を出して寒稽古をしている。寒稽古は武道だろうか、「波裏返し」で風が吹き、波が荒れていて寒稽古の厳しさが出ている。裏返る白い波に作者自身が寒稽古をしている気分になっている。作者は埼玉の人。

人声の風にのり来る冬木の芽   飯野 武仁

 冬の裸木にはすでに芽が光っている。まだ枯木立のような森閑さに人声が風にのって来る。人声が芽ぶきをうながすようにと、感覚的に捉えている。この季節がいちばん敏感に自然の中ににじみこむからこそ感じられる。作者は佐倉の人。

梅一輪一行目なり日記帳   芝山 康夫

 ようやく梅が一輪咲いた。この鮮やかさを眼前に、日記は一行目。さあこれからだという、余白が新鮮だ。書く前の緊張感、集中力が出ている。この句の梅一輪は紅色と思われる。作者は千葉の人。

海の底よりの濤音冬来たる   木坂 弘子

 海底よりの大涛の音で冬が来ると感じている。海面に見える波ではない。海をよく知る人の感受だろう。対象を肌でうけとめていて、これからの冷厳の冬を思っている。作者は高砂の人。

鱗飛ぶ夫の爼始かな   堀田ちえみ

 爼始めがいきなり鱗の飛ぶ魚である。魚をさばくことからして、手馴れた男料理を想像する。魚は正月の鯛だろうか。うすもも色の鱗が飛び、桜色をした鯛とはいかにもめでたい。ありがたい。夫にとっての組始めとしても意表を突いた「めでたさ」を思う。作者は広島の人。

蛇口からはじける水に春を待つ   川添 弘幸

 蛇口をひねると水がはじけ出た。その勢いに春ももうすぐだと直感。「水」に心を寄せて親しみを持ち、春を待つというのがすばらしい。なんの説明も要らぬ句だし、こんな句は無数にあったかもしれない。が、自分の感じたことを素直に表現した句を一人でも認めてくれた。それでいいのでは。作者は高知の人。

海鼠吐く水に白砂舞ひ上がり   岩﨑 利晴

 海鼠がバケツにでも浸けて売られていたのだろう。白い砂を吐いているではないか。この海鼠は白い砂の所に潜っていたに違いない。白い砂がある所はどこだろう、味はどうなんだろう、体は白っぽくなるのだろうか、等と興味が湧きグロテスクな海鼠に見入る作者。きっと海鼠が好物なのだろう、今夜の酒の肴になったに違いない。作者は東京の人。

誰も来ずどこにも行けず室の花  神代 喜代子
海に入る海猫の足跡深雪晴    三河 四温
葉牡丹の縮れに光る雨雫     青木 千春
猪の跡畑土に反る霜柱      津川 聖久
大寒や深き杖跡辿りゆき     大上 章子
着ぶくれの腕にワクチン注射打つ 黒川 愛子
臘梅の花へ賑やか鳥の声     大前 美智子
一人聞く真夜の落語や初笑    林  絹子
夜を徹し積もりし雪や朝日差し  佐々木俊樹
蹴り返すボール外れて冬すみれ  前田 節
大寒の日の射す部屋や独り座す  宍戸 邦子
凍鶴の一声天を貫けり      椿  恒平
雪降れど降れど消えゆく谷の川  藤谷 静香
冬の薔薇しづかな雨に震へをり  山岡 ひろみ
丘へ向き重機整列三ヶ日     中田 若江
葬列の摩れど癒えぬ悴む手    橋本 信義
足ぬらし若葉摘む野や遠筑波   木村 あき子
灯を消して柚子湯親しむ月明かり 山田 光恵 
テーブルに幼の落書き筆始    大谷 千江子
一服に膝かばふなり茶湯始    吉田 孝子

 

令和4年(2022)

3月号 鈴木 厚子 副主宰

七五三晴着のままの石拾ひ   埋金 年代(巻頭)

 十一月十五日は七五三、(男児三、五歳・女児三、七歳) を祝うのに参詣する。この句の場合は何歳か、女児か男児かわからないが、せっかく着せてもらった晴れ着のままに石を拾い始めたという。長い袂が地を擦り、親は汚れることにハラハラしている。子はいっこうに構わない。変わった石が目に留まれば、拾うという子どもの自然の姿。晴れ 着で「石拾ひ」の思いがけない所作が面白い。子供らしい姿を捉えている。作者は筑紫野の人。

見開きしままの眼や枯蟷螂   大槻 ファンタジア

 枯れた蟷螂が何かに驚いて眼を見開いている。その眼がらんらんと青緑である。まだ枯れ切っていない蟷螂の一瞬を切り取っている。蟷螂は雌雄交尾後、大きな雌は小さな雄を頭から食ってしまう。それを栄養に卵を産み、子孫を残す。生き残った雌はあたりの草が枯れ色になってくると、保護色で緑色から枯葉色に変わり、最後に枯れるのは目玉。枯れきっていない最期の眼力で獲物に立ち向かっているのだ。眼に焦点を当てたことで迫力が出た。「ま」の韻を踏んでいて、リズムも良い。作者は広島の人。

山寺の僧と畑焼く着ぶくれて   椿 恒平

 僧と共に畑を焼いている。着ぶくれてというのだから、畑で焼かれている物はおそらく春耕に先駆けて、畑の藁屑や枯れ草などを燃やしているのだろう。これが「焼畑」だと春の季語で、雑木、雑草などを焼き払い、灰を肥料としてその跡に作物を植える農耕法。宮崎県あたりの山間では、すぐに育つ蕎麦が植えられていて、規模が大きい。この作品は、その「焼畑」とは違う。山寺の僧と寒風の中、着ぶくれてぼそぼそと畑をきれいにしている。山寺の僧が唐突だが、山寺あたりの生活が見えてくる面白い句。作者は大阪の人。

大根引く大地に温みありしかな   前田 あや子

 寒風の中、大根を引いている。大根の白さをまとう黒い土がまぶしい。大根を太らせた土のありがたさ。その土に温みを感じ、その思いがけない温みにもう春も近いと、辺りを見まわしている。土を「大地」と捉えたことで、景も心もひろくしている。作者は姫路の人。

秒針もうごく冬日の花時計   神山 貴代

 冬枯れのなか、大方の物は枯れているが、花時計だけは冬でも枯れない鮮やかな花が植えられている。秒針も動き、管理が行き届いた花々は、冬日を浴びながらおおらかな息吹が感られるという。「花時計」に焦点が絞られているのが良かった。これが「冬の日」とすると、冬晴れ、冬 麗と景が大きくなってしまう。作者は船橋の人。

大部屋の病室静か年暮るる   山岡 ひろみ

 入院中はベッドが八つ置かれている大部屋にいた。大部屋なので重篤な病人はいない。なのに部屋は静まり返っている。大部屋ゆえに人声がしないのは寂しい限り。コロナ禍であっても静か過ぎるのも寒々しい。「年暮るる」に、 家の事が心配で。という思いなのであろう。作者が一番その思いが大きく、早く家に帰りたい。作者は広島の人。

柚子湯して窓の外まで夫の歌   堀田 ちえみ

 柚子湯がさぞ気持ちいいのだろう。夫の歌声が窓の外まで聞こえてくる。それを聞いている作者もご機嫌な夫に安堵している。おおらかな夫婦がみえてくるし、第三者にも微笑ましく気持ちがよい。作者は広島の人。

重き荷に差し出されし手冬の虹   中田 若江

 重い荷にさっと差し出された手。なんと有難いことか。遠くには、かすかに冬の虹が出ている。たちまち消える冬の虹に艶麗ひとしお。瞬時の印象が「冬の虹」に語られている。若々しい情感を感じる。作者は呉の人。

大柚子の一日おくれの癒しの湯   鈴木 杏子

 大きな柚子で一日遅れの柚子湯に浸る。家族の都合を待ったのか、体の都合かもしれないが、ともかく一日後れとなった。が、かえって気分的にゆとりがでて、しみじみと味わえる癒しの湯となった。作者は高砂の人。

産みたての鶏卵配る冬銀河   結城 幸子

 産みたての鶏卵を近所に配っている。夜空には冬の天の 川が横たわる。手にしているのは真っ白なまだ温みの残る 新鮮な卵だけに、寒気を伴いながらも活気を感じている。 鶏卵舎の直売所へ出向き、ついでに近所の人にもというの であろうか。作者の善意に冬銀河が鮮烈。作者は三次の人。

外からのくすぶる匂ひ隙間風   大谷 千江子
予備校の開門間近真綿の子    前田 節
冬もみぢ住む人見えず音もなく  山田 流水
釜洗ふ煤の澱みて冬の川     津川 聖久
よろこびの産声もるる白障子   青木 千春
初雪やもつれ合ひつつ下校の子  山本 好子
初弥撤や方舟のごと大聖堂    竹原 陽子
光太郎山荘までを朴落葉     三河 四温 
新暦友の俳句にしるし付け    保光 由美子

令和4年(2022)

2月号 鈴木 厚子 副主宰

高みへと螺旋に冬のとんびかな   大上 章子(巻頭)

 一羽の鳶が高みへ高みへと旋回して天にのぼるではないか。限りない静けさをたたえた大空へ、それが巻き貝のように螺旋にゆっくりと。いったいどこまで上るのだろうか、きっと獲物の見える位置なのだろうけれども、実に勇壮だと見入っている。辺りは満目荒涼とした真冬の野だけに、一羽の鳶の姿が生き生きと見えてくる。作者は富山の人。

手枕の稚に乳の香初しぐれ   川添 弘幸

 手枕をして、稚を寝かしつけていると乳の香りがする。外は静かな初冬の雨のようだ。「おお、初しぐれか」と、しばし雨音を聞きながら、乳のみ子を見つめているひと時。乳のみ子と「初しぐれ」の取り合わせがよい。しみじみとした味わいのある作品となった。作者は高知の人。

走り来る人待つバスや散り紅葉   赤井 榮子

 バスが走って来る人を待っている。辺りは紅葉がしきりに散っている。走り来る人は散り紅葉を蹴散らしながら、その必死さが哀しい。バスへ走る人と図体の大きなバスにも紅葉が容赦なく散る、そして作者の冷静な目。映画のワンシーンを見ているようだ。作者は日野の人。

葱引けば根つこ千切るる鈍き音   岩﨑 利晴

 葱は冬の季語で、深緑の葉と土の下の白が美味い。その葱を引き抜くのに、すんなりとは抜けなくて、根っこが千切れる鈍い音がした。土に根を張っていたのだろう。立派な葱であることが分かる。根を引き千切る感覚を手にしながら引き抜いている、「根つこ千切るる鈍き音」が具体的。作者は東京の人。


夫と行くけやき黄葉の日の斑踏み   田代 和子

 枝を張った大木の棒が黄葉になり黄色で明るい。日が差すと地に日の斑がちらちらとでき、これもまた明るい。その地を夫婦がかみしめながら、踏みしめながら歩いている。誰の目にも幸せな景である。来年もこんな景に出会うことができたなら、と。作者は船橋の人。

天平の螺鈿の琵琶や秋の声   住友 幸雄

 ヤコウ貝などの貝殻から真珠色に光る部分を切り取って磨き、その薄片を琵琶の楽器にはめ込んで装飾されていて、天平時代の琵琶である。国宝級のものであろう。「秋の声」は天平よりの懐古の人、鳥などの秋声も含み、併せて眼前の風景もという二重映しを感じている。この句は「秋の声」で生きた。誰も言えそうで言えない。作者は佐倉の人。

見ゆる数より騒がしや寒雀   飯野 武仁

 雀が眼前に見えている数より、えらい騒がしいぞ。自分の見えない所にもいるのだろうか。いや、寒雀だからこそ騒がしく聞こえるのだろう。日だまりに群れた寒中の雀の可憐さ、荒涼とした地に無心の寒雀を捉えている。作者は佐倉の人。

蓑虫の吊る糸伝ふ雨しづく   橋本 信義

 ミノガ科の昆虫の幼虫で、木の枝や葉を糸で綴ってその中に潜み、蓑を負うような形をしている。長い糸を吊り、枝にぶら下がり、揺れているのだろう。その糸を伝ふ雨がしずくとなって輝いている。蓑は雨を弾いていて、吊る糸の雨しずくのみが見えている。雨に晒された蓑虫の哀れさ を捉えている。作者は東広島の人。

地は暮れて木の頂きは冬夕焼   本池 和子

 地は暮れてこんなに暗いのに、木のてっぺんは冬夕焼けがして赤々としている。冬夕焼けが沈む一瞬を捉え、自然の美しさに触れたありがたさを句にしている。ひたすら眼前の景に心をかたむけている。作者は高砂の人。

着ぶくれて玻璃戸に油注しにけり   芝山 康夫

 軋むガラス戸に油を注すのであるが、着ぶくれた人が注すというのが滑稽である。着ぶくれた人のぎこちなさが見え、さりげない動作を生のまま捉えていて面白い。作者は千葉の人。

夕しぐれ母のかなしき秘密知る  三河 四温
隠れ咲く花柊の白さかな     椿  恒平
山あひの日の無き所冬田打つ   大谷 千江子
喪の家の池に一羽の真鴨かな   藤原 幸子
柏手に光集めて初御空      結城 幸子
焼藷や頬ばる父の手の厚さ    中田 若江
さよならと返す踵や冬銀河    橋本 園江
走り根につまづく術後冬すみれ  山岡 ひろみ
撥ね物を重ねて窯場冬ざるる   吉田 孝子
擂鉢の底のやうな地冬に入る   濱田 敬視
雨激し残る紅葉を散らしけり   大前 美智子
小鳥かと眼をやる窓に飛ぶ木の葉 藤谷 静香
銀杏散る平家納経見て居れば   友弘 和子
台風来戸袋の戸を引つぱりぬ   今田 文子

1月号 鈴木 厚子 副主宰

道場の裏に置かれし猪の罠   齊木 和子(巻頭)

 弓道なのだろうか、武術を修行する道場の裏に猪の罠が置いてある。猪なのでかなり大きい鉄柵。「道場の裏」が思いがけなく、作者も読者も度肝を抜かれる。猪がこんな所にも出るのかと。昼間は潜んでいる夜行性の猪の目を感じる。この作品が、ただ罠が置かれているの状態ではなく、「道場の裏に掛かかりし罠の猪」だったらどうか。私は空の鉄柵の不気味さ、辺りで身を潜めている猪のすわった目を想像して原句がいいと思う。作者は宮島の人。

波間には瀬戸の島々星月夜   川添 弘幸

 月の無い夜、満天の星が輝く澄みきった空。作者は瀬戸内海を見下ろし、波間に瀬戸の島々が見えるという丘からの遠望。点在する島々が波間に黒く見えている。星明かりの瀬戸内海の美しさをたたえている。作者は高知の人。

木洩れ日の庭にもつるる秋の蝶   高田 桂子

 ちらちらと木の葉から洩れるわずかな日差し。その日にもつれるように飛ぶ秋の蝶。つかの間の日差しがまぶしいし、秋の蝶の必滅の侘しさが出ている。作者は呉の人。

沖を行くフェリーの影や鰯雲   宮崎 和子

 沖を行くフェリーが海へ影をおとして進む。その影が鮮烈なことで、穏やかで真つ青な海が見える。空には鰯雲が悠々と広がっている。晴れた日のゆったりとした時、作者も晴れ晴れとした気分で海を眺めている。作者は日野の人。

鍬を振る人の影濃し秋日和   大谷 千江子

 一心に鍬を振っている人の影が土に濃くくっきりと。秋晴れの日和の穏やかさ。土に生き大自然といのちを共にしている人を慈愛の眼差しで見ている。作者は広島の人。

星月夜眠るがごとく姉の逝く   長谷川 陽子

 眠るように姉が亡くなった。まるで命の定めのように。 空には満天の星が輝いている。姉はあの星の一つになったに違いない。自他区別なくいつも骨身惜しまず働き、みんなに好かれかわいがられて、幸せな一生だった。「星月夜」に姉への敬慕が出ている。作者は東広島の人。

玻璃窓の鯖また伸びし鳳仙花   前田 節

 ガラス窓のひび割れがまた伸び、広がった。窓辺に鳳仙花が咲いているのに気づく。咲きあふれてはほろほろと散る。そして散っても散っても咲きつぐ生命力のある花で、実は自然に縦にさけて褐色の種、それで爪を赤く染めて遊 んだよなと思い出し、見つめている。傷の広がった窓ガラスを見ながら、もう少し耐えてくれよと鳳仙花に願っているのだ。面白い取り合わせの句で、感覚がナイーブである。鳳仙花は「つまべに」「つまくれなゐ」の名もある。作者は広島の人。

鶏頭のただ一本が燃え残る   林 絹子

 鶏頭が一本咲き残っている。立派な鶏冠で茎も赤く堂々と立っているのだ。燃え尽きるまでそのままにしておこうと、くれない一色の鶏頭のたくましさに惚れ惚れしている。作者は船橋の人。

人去りて風の残りし花野かな  田子 正流

 限りなく澄んだ青い空のもと、深呼吸をして花野の花と共に憩い、人で賑わっていたのに。人が去ると風ばかり残ったと感じている。「風の残りし」に急に寂しくなった花野が出ている。作者は奈良の人。

妻の音私の音枯葉踏む   細野 健二

 枯葉を踏みながら妻の音、自分の音が違うのに気付いた。長く連れ添って同じ道を歩んできたというのに、踏みしめる音がこんなにも違うなんて。今さらながらそれぞれの音に耳を傾けながら枯葉を踏みしめる。作者は八王子の人。

学び舎も迷路となりて文化祭    布瀬川 大資
今日の月腕に重たき赤子かな    山岡 ひろみ
銀杏散る一揆のありし所より    藤原 幸子
このバスも母降りて来ず石蕗の花  木村 あき子
十三夜どこかで稚をあやす声    辻井 康子
サイロより首出す人や秋うらら   福田 美和
つまづきて手につかみしは草もみぢ 本池 和子
もれ来たる仏間の灯り虫の声    藤谷 静香
風に押し戻されてゐる秋の蝶    橋本 園江
水澄みて真白き貌の鯉ひとつ    太箸 真沙
夕暮の蕪の白きを刻みけり     藤本 貴子
男舞女舞見て秋惜しむ       前田 あや子


 

 

令和3年(2021)

12月号 鈴木 厚子 副主宰

波くだく荒磯に小さき秋の虹   荒巻 久江(巻頭)

 平塚といえば、相模平野の最南端、湘南砂丘地帯だろうか。行ったことはないが、荒波が打ち寄せる岩の多い海岸に、波が砕けては寄せているのだろう。眺めていると、小さい秋の虹が立ったという。虹は飛沫で出来たものかもしれないが、あっと一瞬を捉えた句。思いがけない出会いは、さずかりものを得たような気分。至福感が出ていて、あえかなものの出会いを見逃さなかった。作者は平塚の人。

サーカスの跡地に大き凹み夏   大槻フアンタジア

 だだ広い空き地の炎天下で、幾つかの凹みを見つけた。何だろうかと近づくと、そういえばこの間までサーカスがテントを張っていた所だと気付く。これが柱の跡かと、想像しながら凹みをたどる。草木もなく、灼け地と化し、炎天で凹みさえも干上がっているのに哀れを感じているの だ。作者は広島の人。

夫の座に犬が座りて秋の風   糟谷 光子

 空いている夫の席に、いつの間にか犬がちょこんと座っているではないか。「秋の風」で、夫は家を長く空けていて待ちわびている家族を想像するが、夫がこの犬を可愛がっていたことがよく分かる。家族の一員として扱っていることも分かる。おかしみとあたたかい心がみえてくる。季語が「秋日和」ならば、夫の座がちょっと空いていれば犬が座るという日常で明るい。作者は高砂の人。

ほの紅き鯛ひらきをり秋の暮   宮坂 千枝子

 一尾の鯛を捌いている。身をひらくときの柔らかさ、ほのかな紅いろを美しいと。やはり鯛だなとしみじみと鯛の貫禄を感じている。「ほの紅き」に深みゆく秋の暮が決まっ た。作者は三鷹の人。

飴色の父の手紙や秋彼岸   深田 豐子

 秋彼岸で仏壇の整理でもしていたのだろうか。飴色にくすんだ父の手紙が出てきた。読み返すとなつかしく、当時のことが鮮やかに蘇る。改めて父の存在や秋の彼岸の尊さをかみしめている。長い間大切に保管していたことが分かる。春の彼岸には春は付かない。作者は呉の人。

生ぬるき忘れ潮かな夏惜しむ   梅本 重一

 潮が引くとところどころに潮だまりが出来る。まるで忘れられた潮のように。その一つに手を入れると、なまぬるく感じた。この間まで熱かったのに。ああ夏も終わりだと、手の感覚で夏を惜しんでいる。簡潔そのものの描写。盛夏とちがう静けさ、遠くに波の音がしている。作者は埼玉の人。

虫の声友の空席埋めけり   竹原 陽子

 虫の鳴く声が、来るべき友の席を埋めるように鳴いている。友がここにいればどんなに良いか。用事で来られなくなり、代わりに虫がしげく鳴いてくれ、己を励ましてくれるという。野外でのイベントだろう。こういう友を持つと幸せだ。作者は広島の人。

少年のどんぐり一つ筆入れに   廣田 華子

 少年が拾ってきたどんぐりが一つ筆入れにある。ただそれだけだが、少年の姿や生きざまが見えてくる。どこで拾 たのか、愛着のある大切などんぐり。それを見守る人。いろいろなことが想像され、心豊かにしてくれる作品。作者は広島の人。

稲の花かすかにふるへ朝に咲く   船原 律子

 稲の花がかすかふるえながら朝に咲いているという一物仕立ての句。稲が穂孕み期に入り、青い穂にぶら下がるように小さな白い花を咲かせる。わずかな風にもゆれてやさしい表情を見せる。かすかにすがすがしい香りもして、水の上に落花する。「かすかにふるへ」に稲の花の命を捉えている。心を込めて写生している。作者は高砂の人。

全粥や敬老の日の祝ひ膳   中田 若江

 敬老の日の祝い膳が全粥だという。なるほど歯の悪い寄りにはありがたいこと。気配りされた艦である。赤飯を想像するが、食べてこそだけに、意表を衝いた作品になった。作者は呉の人。

わが膝にふれて飛びゆく赤とんぼ 木村 あき子
玉砂利を濡らす糠雨鹿の声    芝山 康夫
さやけしや胸像の目は海見つめ  津川 聖久
色変へぬ松へ駆け込み城の雨   志賀 理子
浮雲が湖面を渡る秋の余呉    山田 流水
戒名の「一幻」秋の雲迅し    三河 四温 
山の端を今離れたり居待月    居相 みな子
みの虫の風に吹かれて海の上   中島 麻美
鴉五六羽秋行く湯屋の煙突に   飯野 武仁
ひとりだけ外れゆく子や曼珠沙華 斉藤 江津子


11月号 鈴木 厚子 副主宰

森閑としてけはいあり萩の寺   三河 四温(巻頭)

 「萩の寺」と呼ばれるほど、境内は萩の花が多く咲いている。が、寺は森閑と静まり返っていることで、手入れの行き届いた萩がひときわ鮮やか。挨拶をすれば奥から対 応するけはいも感じられる清楚さ。風にこぼれ散る萩の花の危うさと作者の肉眼の奥の光を感じる句。作者は岩手の人。

どの墓も直立不動終戦日   大槻 ファンタジア

 終戦日、昭和二十年の八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦。国民は天皇陛下のお言葉を直立不動で聞き、思考も停止してしまったような一日だった。それを墓の姿に捉えて、即物的に語らせている。作者は広島の人。

婚の列木下闇よりあらはるる   荒牧 久江

 木の下が闇のような暗さから婚の列がわっと出てきた。 婚の華やかさと、真夏の大樹の盛んなさまの景が見えるようだ。眼前を鮮やかに切取っている。作者は平塚の人。

朝露に頭を垂るる草も野も   川添  弘幸

 朝の露に足もとの草が頭を垂れている。遠くを見渡せば 野のすべてのものが露に濡れ伏しているようだと、朝の清 浄さを感受。朝露のア、頭のアと韻を踏んでいて、リズムもよく、気持ちのいい句。作者高知の人。

飛んで行け落輝放る朝の空   藤谷 静香

 落蟬を見つけた。つい拾ってしまう。まだ手脚が動いていて、翅もばたばたしているので、飛んで行けとわが手で放つ。ただそれだけのことだが、一時でも長く生きよとい う心根が、朝焼けの空へ放つ輝の粒を追う目尻に見えるようだ。作者は三次の人。

くれなゐに変はりて落つる酔芙蓉   田中 廣美

 芙蓉はアオイ科の落葉低木で東アジア暖地の原産で古く中国から渡来。艶麗な花で朝開き一日で花は萎む。昼を過 ぎると、花弁一面にほんのりと紅色が加わるのを酔芙蓉という。その酔芙蓉が「くれなゐ」一色に変わって落ちたという。華やかな大きな花弁が自ら閉じて落ちる様を目に見 えるように、丁寧に詠んでいる。作者は高砂の人。

腕ぎたての梨の芯まで日の温み   芝山 康夫

 腕いだばかりの梨を齧って食べたら、芯まで日の温みを 感じた。日で実る梨の豊潤な汁がしたたり落ちる。その汁 もほのぬくい。今までは冷やした梨ばかり食べていたが、 腕ぎたての新鮮さを堪能している。作者は千葉の人。

高枝に白鷺止まり田水沸く   曽根 和子

 白鷺が高い枝に止まり、田を見下ろし獲物を狙っている。その田は強い直射日光を受けて、田の水がなまぬるい 湯のようになっている。「田水沸く」といっても、湯がく らぐらと沸くようなことではなく、足を入れれば温い程度 で、田の微生物が湧き、盛んに泡を立てているのである。 このころ稲は成長期にあり、稲の発育には望ましい。田水 が沸くと今年は豊作だと喜ぶ。が、田の草も繁茂し、その 中での田草取りは辛い。じっと動かない白鷺の純白さと沸 く田水の取り合わせの妙。作者は船橋の人。

電線の揺れを残して帰燕かな   梅本 重一

 帰燕が近づくと燕は電線に居並び飛び立つ機を待っている。先頭が飛び立てば一斉に飛び立つ。飛び立った後は電 線は揺れるばかり。「揺れを残して」が具体的で、その一 瞬が目に見えるようだ。作者は埼玉の人。

夫見舞ふ帰る列車の遠花火   廣田  華子

 夫を見舞っての帰りの車窓に花火を発見。あらと思いが けない出会いに、窓にすり寄り見つめる。一瞬の華やかさ にはつとさせられ、あっと遠のき、しかも遠花火。通過して後の虚をかみしめている。作者は広島の人。

どこまでも白き小雨や広島忌  前田 節
掃除機を追つて汗粒二つ三つ  住友 幸雄
合歓咲くや峠の先の父の墓   前田 あや子
ハンモック揺らして遊ぶ猿親  木村 あき子
鳴きながら潟に食はれ秋の蝉  岩﨑 利晴
甘き香や干梅返す指の先    中島 麻美
残照の瀬音に集ふとんぼかな  津川 聖久
麻酔醒め吾に気づきし終戦日  細野 健二
生き甲斐を聞かれ戸惑ふ星月夜 布瀬川 大資
紫陽花や静かな雨の日曜日   糠谷 光子
雷鳴に起こされ独り闇の申   宮崎 和子
ゆつくりと人進みゆく盆をどり 椿 恒平
せせらぎを挟み鳴きあふ法師蟬 高垣 美智代


令和3年(2021)

10月号 鈴木 厚子 副主宰

木洩れ日や目の跡光る蟬の殻   津川 聖久(巻頭)

 林の木洩れ日を歩いていると、何か光るものに気づき足を止めた。よく見ると「の殻ではないか。殻に目を凝らせば、目の跡が殊に光っている。長い間さなぎで土の中に眼光鋭く、生きていた証が脱皮の跡にありありと残っている。ぬけ殻の目に蝉の命を見ているのである。作者は尾道の人。

水溜り光をかへし油蝉   藤谷 静香

 雨後の水溜まりに、炎暑の光が跳ね返って目に痛い。辺りは油蝉が水を得たようにより激しく鳴いている。油蟬を捉えたところに、雨後の照りつけの力強さが出た。炎暑のもの憂さの中にいる作者は油蝉の声が心に泳みるばかり。作者は三次の人。

蝉時雨しづかな村をゆり起こす   吉田 玲子

 天を灼き地を灼くように鳴き続ける蝉。物音一つしない村をまるで揺り起こすようだ。「ゆり起こす」に蟬時雨の激しさが出ていて、作者の心象が浸みでている。作者は船橋の人。

黄帽を寄せ合ひ手には甲虫   中田 若江

 「黄帽」に園児か小学生の低学年を想像する。遠足だろうか、その中の誰かが甲虫を捕まえ、手のひらに這わしている。みんな甲虫に引き付けられるように、黄帽の頭を寄せ合っている。その場に居あわせていた作者はいつの時代も甲虫は昆虫の王様だと、子らの姿を微笑ましく見ているのである。「黄帽を寄せ合ひ」が具体的で目に見える。作者は呉の人。

茗荷の葉ゆれて一人の夕御飯   赤井 榮子

 庭隅に茗荷が植えられているのだろう。丈のある茎に緑の葉がすがすがしい。揺れることで、いっそう存在感がある。作者はまだ日のあるうちに一人の夕餉を摂っている。茗荷の葉の揺れに目が止まり、緑の葉のみずみずしさに見とれている。根元に子ができていないかしら、花はまだかしらと、まるで夕ご飯のおかずの感覚で箸をうごかしてい る。葉の真緑に暑気払いしているかのように。作者は日野の人。

白シャツの人影俄然芝に映え   住友 幸雄

 白シャツを着た人の影が芝生に俄かに映えた。白シャツは緑の芝生だけでも映えるのに、芝は動く人影で俄然生き生きしたという。ここでの「俄然」は白シャツの人影が強調されている。意表を突く面白い見かたである。作者は佐倉の人。

打ち水の一杓残し我が足に   吉田 孝子

 バケツで打ち水をしていて、さいごはバケツを傾けて我が足を洗う。その残り水は一枚でこと済み、そうすることで、身の内までさっぱりとする。無駄のない、さりげない身のこなしが詩になっている。誰もがしている事なのに、誰も作品にはしていない。作者は広島の人。

第五波や白衣の下の夏のシャツ   佐々木 俊樹

 オリンピックの最中コロナは第五波となり、殊に東京は大変な事態に陥っている。その余波は広島にも及び深刻。毎日コロナ感染者の人数が報道され、固唾を呑んで聞いている。治療に当たる医療従事者は毎日命を縮めて対応に追われ、作者もそのお一人で医師。白衣の衿と夏のシャツの衿が重なりさぞ暑いことであろう。汗だくの現場が見えて くる。作者は東広島の人。

花びらに酒汲んで飲む大賀蓮   水野 春美

 大賀蓮の花びらに酒を汲んで飲んでいる。酒が汲めるほど花びらの一片は大きくて厚みがあるのだろう。私は見たことがないのだが、「飲む」と具体的に詠まれていて、「すごいな」と感じる。作者は船橋の人。

屋根越しの起重機猛暑動かして   本地 和子

 作者の位置は「屋根越し」で遠望だと分かる。しかし、なんと大きな起重機なんだろうかと驚き、猛暑を動かしているようだとスケール大きく捉えている。省略の妙で、起重機を凝視しつくしてできた作品。作者は高砂の人。

日焼子やマスクの跡のくつきりと    青木 千春

 コロナ禍でマスクは離せない。日焼けした子の顔にはマスクの跡がくっきりとついている。外での遊びにもマスクをつけたままということが分かる。さぞ息苦しくかえって危ないだろうにと、不憫に思っているのである。コロナ禍の時事俳句。作者は広島の人。

裁判や雷鳴止むを待ちゐたり    世羅 智子
犬と背を並べて座る夏の海     斎藤 直子
揚花火被爆の川に火の粉降り    竹原 陽子
噴水の天まで届け祈りの日     山岡 ひろみ
どこまでも白き小雨や広島忌    前田 節
裏木戸を叩く夕風水鶏鳴く     高橋 恵美子
縫物を籠に木蔭の端居かな     藤原 幸子
炎昼へズック干されて白著き    古西 純子
路に出る蜥蜴の四肢に影が沿ひ   岩本 貴志
睡蓮の池に静かな雨の音      栗野 延之

令和3年(2021)

9月号 鈴木 厚子 副主宰

青田中水路一筋貫けり   大前 美智子(巻頭)

 一望の青田の中を水路が一筋貫いている。田の水が流れ出る勢いが白く見え、青田の緑をいっそう鮮やかにしている。豊作への豊かな水に心を寄せ、しんかんとした景が出ている。「貫けり」が良かった。省略のきいた句。作者は宇治の人。

すて舟をたたく川波青すすき   荒牧 久江

 捨てられた舟を川波が叩いていて、辺りには青すすきが青々と伸びている。すて舟の哀れさと青すすきのたくましさの取り合わせの句。風に乱れることをよろこぶような青すすきと川波に叩かれるままの舟、自然のなすがままを切り取っている。すすの韻を踏んでいてリズムがいい。「すて」「すすき」をひらがなで表記した工夫も上手い。作者は平塚の人。

病める子の窓に見ゆるは夾竹桃   佐々木 俊樹

 病んで臥している子の窓外は、明るく桃色の夾竹桃が見えていて、病室までが明るい。外窓の明るさとは対象的に 病む子に心が翳る作者。夾竹桃はインド原産の常緑樹で、江戸の終わりごろ渡来し、夏に桃色の派手な花を咲かせる。 被爆後の爆心地で一番早く咲いたのもこの花で生命力が強 いだけに、この花のように元気になってくれと、祈りながら見守っている。火竹桃を捉えたのが良かった。作者は東広島の人。

肌脱やへそを避けたる手術痕   岩﨑 利晴

 蒸し暑い日などは、肌を外気に触れさせたいので、肌着まで脱いで上半身裸になる。その裸を見ると、へそを避けて続く手術痕が見える。大手術だったよなと擦りながらよくぞ生き抜いたものよと、自分に言い聞かせながら暑さに耐えている。我が家なので無礼講といくかというのであろうか。作者は東京の人。

向日葵の窓を開ければ吾に揺れ   齊木 和子

 外は一斉に向日葵が咲いている。その窓を開けたら向日葵が自分に揺れたという。窓を開けた瞬間の向日葵の黄の明るさに驚き、よく見れば一斉に自分に向いて揺れてくれるではないか。向日葵の表情を捉えて、なんと可愛いことか。晴れ晴れとした空、山々のみどりが一段と静けさをさそう。爽快な句。作者は宮島の人。

鍬打てば汗の雫が土を打つ   津川  聖久

 汗だくになって鍬で土を起こしている。一鍬の度に汗がどっと流れ出る。土ににじむ己の汗を見ながら、一鍬に渾身を込めて土を起こすのである。耕運機を使わないで、一鍬一鍬丁寧に土を起こす方が土に空気が入るので、土にも作物にも大変良い。「打つ」のリフレインに労働の汗を静かに肯う見事な作。作者は尾道の人。

はやばやと紅薔薇闇にまぎれけり   藤谷 静香

 赤い薔薇がはやばやと闇にまぎれた。まだ小暗いのにと赤い薔薇を見つめている。お気に入りの薔薇であり、丹精込めて咲かせているのだろう。黒がかった薔薇の命を見事に句にしている。作者は三次の人。

睡蓮の葉に手をかけてしばし   飯野 武仁

 睡蓮は未の刻、つまり午後一時から三時ごろ水面に花をさかせ、未草ともいう。葉は水面にぴたりと浮かんでいる。その葉に亀が手をかけている景。水中の真ん中であれば、亀も安心して姿を見せ、手を葉にかけてのんびりしているのだろう。手はまこと人間のように指が五本あり、爪も細く先は尖り食いこむように鋭い。人間が手をかけているようだと見ている。作者は佐倉の人。

再放送に亡き人ばかり麦こがし   三河 四温

 コロナ禍で、新番組が製作できないためか再放送が多い。 画面に出てくる人は今は亡き人ばかりだという。確かにそうで、亡き人が演ずる名場面に惹かれ私もついつい見てしまう。転換して季語の「麦こがし」で決まった。麦こがしは「麨」といい、新麦を炒って臼でひき粉にしたもの。薫りがよく、暑さを消し、胃腸を整える。私の子供の頃のおやつで、砂糖を入れ、喧せてたべたものである。庶民の味で今では懐かしい代物だが、作者は麦こがしを食べながら、再放送の亡き人を忍んでいる。作者は岩手の人。

野外能中止の舞台に鹿の子かな   大谷 とし子

 薪能は夏の季。奈良の興福寺南大門前の般若の芝の上に敷舞台を置きその灯りで能が演ぜられる。それもコロナ禍で中止となり、なんとなく気になるので来てみた。すると、鹿の子がやって来ているではないか。いかにも奈良らしい光景である。作者は鹿の子のあいらしさにほっとしながらも、毎年恒例の野外能を見る奈良に生きる人の気息を感じる。作者は奈良の人。


指先にインクの滲むる緑の夜   曽根 和子
さやうなら言えぬ別れも遠き雷  大槻 ファンタジアム
自転車の籠に子犬や夕立あと   須藤 範子
雨蛙雨乞ひの唄恋の唄      太箸  真沙
我が母校更地となりて緑さす   長谷川 陽子
梅雨の雷喪服の裾を濡らし立つ  古岡 壽美惠
水無月のさざ波かぶり真珠棚   安藤 照枝
浮くほどに風を含みし麻衣    竹原  陽子
連なりて風待ちゐたり凌霄花   芝山 康夫
雲の峰カルデラ覗き込む二人   前田 節

令和3年(2021)

8月号 鈴木 厚子 副主宰

雨つぶに浮きくるゐもり手の黒し   椿 恒平(巻頭)

 池の面に枝を伸ばしている葉から、雨後の雨つぶが池面にぽたりぽたりと落ちている。その雨つぶに水底のいもりが浮いて来ている。浮いたときいもりの真っ黒の手が見え、ドキリとしたその瞬間を捉えた。やがて赤い腹を翻して水の底へ消えてゆく。守宮に形は似ているが、守宮は爬虫類で家守。いもりはイモリ科で両生類で井守。作者は大阪の人。

びは色の色のそのまま皿の枇杷   山岡ひろみ

 枇杷が皿の上に置かれている。太く大きくさぞ立派な枇杷なのだろう。一点の傷もなく、色むらもなく、びわ一色。これぞ「びわ色」と言うのだと、しみじみ見つめている。見れば見るほどほのぼのと心まで満たされていく。この色はどうしたら出るか、描いてみたいものだというのだろう。びわを漢字とひらがなで表現して、枇杷の美しさを写生している。作者は広島の人。

遠汽笛また遠汽笛枇杷熟るる   芝山 康夫

 眼前は夏の海が展け、沖を行き交う船が汽笛を鳴らしている。それが遠くに聞こえる。目の前の丘には灯を点すように枇杷が熟れている。海風に熟れる枇杷の色のなんとおいしそうなことよ。「遠汽笛」のリフレインで夏潮の青さ、生気が出て、力強さを感じる。広くて奥行きのある句になった。作者は千葉の人。

手の平の夏金なでたるランドセル   前田 節

 ランドセルを背負った児が夏蚕を手の平に乗せて撫でている。ただの青虫でなく「夏蜜」でいろいろなことが想像される。自分で飼っているのか、家か学校で飼われているのか、正体は分からないが、ともかく夏蚕で、脱皮を繰り返す五センチくらいの透明な蒼白色の繭になる前の代物である。児にとっても可愛くて仕方がない夏蚕。繭になるのを観察するのであろうか。作者は広島の人。

鳥獣に見下ろされゐる溝浚へ   雛 あられ

 街なかでも蚊の発生や悪臭などで溝浚えをする。田舎では田植えが始まる前に溝の通りが良くなるよう村をあげてする。この句は「鳥獣に見下され」で田舎だと分かる。鳥の声を頭から降りかぶり、獣の気配を感じながら、溝浚えをしている。昔ながらの住民の共同作業をしているのである。田舎では代々の田を守ると言う、半ば義務のようなもの。作者は神戸の人。

いつまでもしやがみし吾子の蟻の列   岩本 博行

 蟻の列を子がしゃがんで見ている。いつまでもいつまでも。「しゃがんで」に興味を津々な子の姿が具体的である。 納得のいくまで見なさいよと見守る作者のあたたかい目。子育ての見本のようなもの。作者は市川の人。

メガホンで叫ぶ白シャツ延長戦   青木 千春

 メガホンで叫ぶ白熱の延長戦。メガホンで叫ぶ白シャツで、少年の一途さがでている。勝ち負けはさておき一生懸命な姿は美しいと、見惚れている。作者は広島の人。

旅終る白シャツに染みひとつつけ   三河 四温

旅から帰宅して、衣類を畳んでいて、白シャツに染みを付けていることに気づく。どこで、何の染みをつけたのだろうかと、旅を顧みる。思いがけない染みによって、旅の思い出が更にリアルになった。作者は岩手の人。

友の忌や好みし豌豆届けたる   川西 蓉子

 亡くなった友が好きだった豌豆を届けてあげようと、自分で育てた豌豆を届けている。跳豆の季節が来ると、友のことを思いだす。亡くなっても尚思う友への生前の友情が見えてくる。なかなかできない心の尽くし方である。作者は廿日市の人。

ボート漕ぐ二人のかひな緑さす   曽根 和子

 見渡す限り新緑。その中をボートが進んでいる。二人漕ぎのボートで、二人の腕が力づよく光をはねて進む。満目の緑を二人のかいなに集めたように「緑さす」と表現し、大胆な措辞がよい。作者は船橋の人。

桐の花田水湛へし棚田かな     山口 和恵
空豆や母との時をゆつたりと    大前 美智子
渾身の赤子の一歩麦の秋      安藤 照枝
少年の背より高き捕虫網      斎藤 直子
コロナ禍のからつぽ電車芥子の花  橋本 園江
白牡丹くづるる中を人逝けり    友弘 和子
蛍烏賊まなこ飛び出し茹であがる  古岡 壽美恵
草笛の人それぞれの音色かな    神山 貴代
この守宮湯殿の隅に二泊せり    大谷 とし子
悠々と雷鳴の中亀泳ぐ       細野 健二
梅雨晴間二重線引き訂正す     竹原 陽子

令和3年(2021)

7月号 鈴木 厚子 副主宰

病む人を笑はせに行く子供の日   細野 健二 (巻頭)

 病気の人を笑わせようと見舞いに行っている。「子供の日」というので、孫か子供らと連れ立ちているのを想像する。ともかく病人の顔を見て元気を出させることが見舞いである。この気持ちが病人にとってどんなに嬉しいことか。誰しも思っているが、なかなかこうは詠めない。健康的で明るい作者の心根にはっとさせられる。意表を衝く句である。作者は八王子の人。

庫裏の裏彼岸の残り雪固し   大上 章子

 彼岸の墓参か寺参りをされたのだろう。庫裏の裏に屋根より落ちた雪が溶けないで残っているのを発見。よく見れば尖っていて固そうだ。こんな所で彼岸の日の残り雪に出会えるなんてと驚嘆。彼岸まで雪が残っているとはいかにも富山らしい。この雪は「彼岸の残り雪」と直感した作者の写生の眼も素晴らしい。作者は富山の人。

床の間の武者飾りにも茶を点てて   大前 美智子

 床の間のある部屋で茶を点てていたのだろう。お茶会かもしれない。その床の間には武者が飾られている。この武者飾りにも一服さしあげよう。戦国時代も一服点てて出陣したと聞く。湯気のうっすらと立つお薄が供えられ、部屋はお薄のよい香りがしている。作者は宇治の人。

干鰈軒に残して逝きにけり   三河 四温

 鰈を軒に干したまま逝ってしまった。亡くなる前日まで元気に働き、鰈の腸を抜き軒に干す作業を淡々とこなしている人だったのだ。亡き人の日常生活が切り取られていて、いっそう哀しみを覚える。作者は岩手の人。

百歳を看取りし朝や藤の雨   山岡 ひろみ

 百歳の人を看取った朝は、薄紫の美しい藤の花をぬらす雨がしずかに降っていた。絢爛と藤房を垂れた藤の花は、雨によっていっそう見事。亡き人は天寿を全うし、生きかたも嫋嫋として崇められ、まさに藤の花のようであったと、藤の雨をしみじみと見ているのである。藤の雨が動かない。作者は広島の人。

持ち寄りの野の花飾る仏生会   椿 恒平

 四月八日はお釈迦さまの降誕を祝福して、甘茶を振る舞い、花御堂を飾る。人々は野の花、例えば蓮華やたんぽぽ、山藤などの思い思いの野の花を持ち寄り、飾るのである。素朴で思いのこもった仏生会。今もその風習が大切に引き 継がれているのである。作者は大阪の人。

新緑や手の平つける谷の川   津川 聖久

 谷川に手の平を浸けている。辺りは新緑で、身の内も透けるような川の流れは新緑が映り、思わず手を浸けたくなったのである。「手の平」が具体的で、男の人らしい大きな手、しかも白い手の平が生き生きと見えてくる。みどり一色の気持ちのいい景。的確な写生に詩情がある。作者は尾道の人。

神域に桜蘂降るくれなゐに   阪本 節子

 神の境内だろう、神域に桜の咲き終わった薬が紅色に染まるほど敷き詰めている。桜の時期だと桜見物客で賑わっていたが、蘂が降る頃は人もいなくて、地を染める蘂は目を惹く。一面の「くれなゐ」に息を呑んでいる。神域で一層荘厳さが出た。作者は京都の人。

花吹雪城に向かつて上りけり   山田 流水

 花吹雪の中、天守閣を目差して上っている。桜と城は豪勢な取り合わせであるが、花吹雪で、花びらを払いながら、あえぎながら上っている。まだ天守閣は見えないかと、花吹雪のすごさ美しさを身をもって味わうことに哀しみがある。作者は大津の人。

絡み合ふホース伸ばして夏来る   布瀬川 大資

 絡み合っていたホースを伸ばしながら、いよいよ夏だと。これからはこのホースを毎日使うのだと、丹念に伸ばしている。案外にホースは長くて重い。「夏来る」に弾んだ気持ちが出ている。自然の気息と充実感。作者は日野の人。

ためらはぬ腕みづに入る蝉蝉の紐   前田 節
槍烏賊の刃に吸ひつきし糸づくり   宮坂 千枝子
菊根分け鉢よりはがす根の香り    宍戸 邦子
山笑ふ手帳に記す大き夢       竹原 陽子
夏の波足もとに来て透きとほる    大槻 フアンタジア
白藤や幼は砂に尻付けて       廣田 華子
青空や子等の数だけチューリップ   田中 廣美
北窓を開けて思案の詰将棋      芝山 康夫
青山椒友垣つひに施設入り      船原 律子
夜桜やよぎる列車の窓明り      藤谷 静香
二階よりバイオリンの音濃山吹    古岡 壽美恵

令和3年(2021)

6月号 鈴木 厚子 副主宰

涅槃図や我が身の居場所探しゐる   栗野 延之(巻頭)

 陰暦二月十五日を釈迦入寂の日として各寺院で釈尊の遺 徳追慕のために涅槃図を揚げ、遺教経を誦読する。作者は寝釈迦詣で、人間や動物が嘆き悲しむ姿を見て、自分だったらどこの場所で、どんな嘆きだろうかと自問している。読者まで涅槃の世界に誘って、一種幻妙な読後感を持つ。 あるいは、自分の死後のことかもしれない。面白い切り取りかたである。作者は浜松の人。

春雷や帰らぬ猫の欠けし皿   布瀬川 大資

 春雷一鼓が、帰らぬ猫の皿を照らしている。いったいどこへ行ったのだろうかと、心配でならない。餌がそのまま盛ってある皿をよく見ると、縁が欠けているではないか。そのことがいっそう不憫でならないのである。長い間その皿で食べていたのだろう。作者は日野の人。

微笑みに微笑み返しみすゞの忌   保光 由美子

 今日は三月十日。金子みすゞの忌だと、作者は「金子みすゞ」の童話集を改めて読み直している。何回読んでも詩は心にしみ、微笑めば、みすゞが微笑み返すようだと感じ、「微笑みに微笑み返し」と詠んで偲んでいる。みすゞの深い優しい眼差しを詩に感じていることがよく解かる。みすゞのよさが引き出された忌日の句である。作者は東広島の人。
(金子みすゞは詩人で、五百十二編を遺し、昭和五年三月十日、下関市にて、二十六歳の若さで、女児ひとりを遺し自害。享年二十六。)

耕人のそびら遥かに波がしら   芝山 康夫

海のそばに畑があり、耕す人のそびらは遥かなる海が開けている。ところどころに白い波がしらが立ち、晴れやか な紺洋の海。耕す鍬先にまで海光が届いていて、しんかんたる周囲。海の輝きをひねもす眼下にして耕人のたいとうたる気分がよく出ている。耕人で句に動きがでた。作者は千葉の人。

たどたどし本読む声と囀りと   埋金 年代

 字をやっと覚えたばかりの子が、たどたどしく本を読んでいる。外では小鳥の囀りがしている。まるでこの子を囃すようだと。と、と、との並列が効果的。普通なら、音が二つ出る句は成功しない。子の声がたどたどしいのと、鳥たちの恋唄の囀りの鮮やかさの音質の違いだろうか。うら うらとした日の光のなかのゆったりとした春のひと日を覚える。作者は聴覚からの面白さを素直に句にしている。作者は筑紫野の人。

朧月ただ一灯の無人駅   橋本 信義

 無人駅にただ一灯のみの明かりが点っている。外は朧月。潤みを帯びた静けさ暗さが、無人駅の一灯をいっそう鮮やかにしている。通りがけの駅か、いつも利用している駅かは分からないが、作者の滋光をあてたような心がこの句を成功させている。誰もよく見る景だが、誰も作品にはしていない。作者は東広島の人。

清明の空を開くや鳥の声   三河 四温

 清明は二十四節気の一つで、四月五日ごろにあたる。東南風の吹く春のよい季節という意味。清浄明潔な空が鳥の声で開かれた。「空を開く」とはなかなか言えないし、しかも鳥の声で開くのであるから。作者は朝の目覚にこれが清明の空かと、うち仰いでいると鳥の声がした。鳥の声で 開けたと直感したのである。そのつぶやきが、そのまま句になった。野も山も家々も昨日の姿と変わらないが、この 空の新鮮さ、鳥の声のなんといきいきとしている事かと。ちまちました景を一掃して、おおらかに把握し、表現した のである。作者は岩手の人。

露天風呂男女隔つる夕霞    岩本 博行

 夕霞が男湯と女湯を隔てている。山中のひなびた鉱泉宿の広い自然の露天湯だろう。実におおらかな景で、夕霞が面白い。客も数人。湯煙の立ち上がる温泉だろう。人間の好悪も美醜も男女の性も忘れさせるたのしさがある。作者は市川の人。

山肌の熊笹撫でて木の芽風   大上 章子

 山肌に人丈くらいの熊笹が群生している。熊笹の葉は手の平の大きさの鮨を包むのにも使われる笹の葉で、深緑の 艶があり、白い斑入りもあるが、遠くでもよく目立つ。木の芽吹きをうながす風に撫でられ、いよいよ緑を濃くし輝いている。「熊笹」が具体的でよく見えてくる。作者は富山の人。

コーヒーは庭にと決まる初音かな   山口 和恵

 「あら、初音だわ」と嬉しくなり、家人にも聞かせてやりたくて、コーヒーを庭で呑みましょうと決まる。梅が咲けば鶯はまだかと、そわそわと待ちに待つ。初音の頃はまだ鳴き声もたどたどしいけれど、鳴けば恋人に会えた気分である。その気分を家人と分け合えるなんて、コーヒーの芳醇な香りまで見えてくる。作者は東広島の人。


佳句の作品

花くぐり来てはないろの少女たち  太田 のぶ子
雪やなぎ路面にチョーク跡の濃く  前田 節
水盤の菜の花なほも天に伸ぶ    斎藤 直子
啓蟄や木登りする子見つめる子   木村 あき子
花を嗅ぐ顔を鴉に見られけり    大槻 ファンタジア
夕風や花首揺るる白牡丹      大前 美智子
方丈や四方の囀り集まり来     岩本 貴志
梨の花くくられゆるる棚し     中嶋 洋子
流れ雛岸の鴉のつつきをり     山岡 ひろみ
沈丁花低く香りて棺出づ      梅村 由紀子
鍵や十五の子らの旅立ちぬで    中島 麻美
啓蟄の大地を濡らす日照り雨    吉本 香代子
竹垣に絡みからみて花通草     古岡 寿美恵
さめやらぬ朝にひとひら飛花のあり  藤谷 静香
春の雨もうひと口と匙運ぶ      藤本 貴子
伎芸天の裳裾赤らみ椿東風      髙田 桂子

令和3年(2021)

5月号 鈴木 厚子 副主宰

菜の花や下校児畦に座り込み   吉本 香代子(巻頭)

 一面の菜の花畑だろう。その畦に下校児が座り込んでいる。菜の花の黄色が明るくて、児の顔まで花の色に染まり下校の解放感を味わっている。座り込むのが畦というところが具体的で、土に親しい田舎の児らしさを捉えている。 作者は香川の人。

先細る家系図よ寒卵割る   三河 四温

 家系の誰かが亡くなられたのだろうか。子孫が減り、我が家系図も先細るばかりで、この調子だとこれから先も更に減っていくだろうなと思いながら、寒卵を割っている。子の数が少なくなっている現在では仕方がないこと。自分の代は辛うじて、自分の血を次の代へ継ぐことが出来たと、寒卵の黄身の盛り上がりに心を寄せている。そして子は貴重な授かりだと、しみじみと寒卵に見入るのである。作者は岩手の人。

大雪や日ごと燐家の隠れゆき   大上 章子

 大雪で日ごとに隣家が隠れていくという北国の景。毎日降り続く雪に不安は隠せない。屋根の雪卸しをしないと家が壊れるのではないか、雪に閉ざされて日が入らないので暗いのも怖い。道路まで雪に閉ざされてしまうのであるから、隣家を訪う事も出来ず、毎日窓から見て、安否を気遣うしかない。この句はそうした雪国の冬の暮らしぶりが詠まれている。私が金沢の仮寓で、一夜にして自家用車が雪に埋もれてどこにあるのか分からなくなったことがあった。そこでの生活は毎日雪かきをして、消防車が出入りできるように住民が協力していたことを思い出す。作者は富山の人。

ひたすらに降りつつ溶ける春の雪   布瀬川 大資

 牡丹雪のように水分を含んだ大ぶりの雪は、降り続けながら溶けていく。地熱の温さもあろうが、こんなにもひたすら降りつづけても積もらない。春の雪だなとしみじみと見ている。そこはかとない春の訪れを愉しんでいるのである。作者は日野の人。

スコップに予報はづれし春の雨   藤原 幸子

 来て見れば、スコップの窪みに春の雨が溜まっているではないか。予報では雨とは言わなかったのにと思いつつも、この雨が土に浸みこんで、スコップも楽に扱えるとよろこんでいる。錆びたスコップに思いがけない雨を発見した喜び。は、はの韻を踏んだリズムの良さ。作者は三次の人。

春泥の乾いてをりぬ試歩の杖   遠山 美咲枝

 試歩の杖に春泥が付き、乾きこびりついている。それを丁寧に拭いながら、春を感じている。試歩に幸先の良いことよ、一日も早くしっかりと歩けるようになりたいと、春泥に励まされているのである。作者は呉の人。

沈み木の枝這ひゐたり豆田蜷   岩﨑 利晴

 倒木が水に浸かっている。澄んでいる川によく見れば枝を這うものがいるではないか。木はもう長い間水につかっていて、田蜷も安心して川底のような感覚で這っている。こんな所に田蜷がいるなんてという驚き。しかも小さな田蜷 、おうおう...大きくなれと声をかけている。作者は東京の人。

宿題の算数ひろげ雛の間   芝山 康夫

 雛が飾られた華やかな間で、宿題をひろげて、一心になにか考えている。何の宿題かと見れば算数。遠くをみるでもなし、ひたすらうつむいて計算をしている。そうした数字と雛のあでやかさの落差を面白く感じている。作者は千葉の人。

手を振れる立春の影まだ長く   住友 幸雄

 遠くの挨拶か、別れか分からないが、お互いに手を振り合うている。作者は己の手の影が地にあることに気づき、影はまだ長い。そういえば今日は立春だったな、と。影はこれから短く濃くなってゆくのだと、春の季節を影で意識している。作者は佐倉の人。

春一番浮き出る錆の沈下橋   川添 弘幸
 
 春一番が吹き、木々が揺れている。沈下橋の掛かる川も波が立ち、沈下橋を濡らしている。作者は沈下橋を渡りながら、錆びの浮き出ていることに気づく。欄干がなく、波を受けながらの橋なので錆びは当然であろうが、素朴な自然のままの沈下橋と、春一番の取り合わせが上手い。あわせてひろびろとした川の全景が見えてくる。四国の四万十川には沈下橋が多い。作者は高知の人。

立春の朝日を受けて雨戸繰る     古岡 壽美恵
独り居の子へさみどりの春セーター  斎藤 直子
沈丁花ただ一輪の香り立つ      出浦 洋子
春の月水の溢るる一の宮       阪本 節子
春日差す御苑の鳩へ幼児へ      大前 美智子
立ち雛を飾りながらや来し方を    鈴木 逵子
枯れ色の庭に隣りの落椿       深田 豊子
病む人にカーテン開き水温む     橋本 園江
馬の目の長き睫毛に春の雪      山本 好子
下萌や瓦礫ばかりと思ひしに     青木 千春
衣の裾を乱す西風雪まじり      世羅 智子
紙雛両手広げて流れゆく       竹原 陽子
啓蟄や目玉ぬけたる埴輪像      友弘 和子
はだれ雪坂道ゆけば日のまぶし    堀田 ちえみ
枯蓮に音を残して風消ゆる      真部 宣則
引き潮へ長き息かけ流し雛      中島 麻美


令和3年(2021)

4月号 鈴木 厚子 副主宰

初雪のひらりと消ゆる手の平に   古岡 壽美恵(巻頭)

 あゝ初雪だと、手を差しのべ、手の平に受けている。初雪は花びらのようにひらりとひるがえって消えた。あっという間の事。華ぐ心で、いとしいものを見ているように、初雪のいのちを捉えている。年を重ねても、いつも乙女の心で感動を詠っている。作者は市川の人。

釣釜の大きな鐶の揺らぎかな   大前 美智子

 茶事では冬の茶釜は炉にかけて湯を沸かすが、三月に入ると、この釜は、天井から自在鉤を用いて吊る。それを釣釜といって春の季語。そして五月に入ると風呂釜になって畳の上に据えられる。作者は釣釜の両脇に付いている鉄の大きな銀の揺れにはっとしている。釣釜の不安定さに湯を汲む柄杓の触れで揺れたのだろう。茶室は水を打ったような静けさで、湯の沸く音のみで粛然としている。流れるような美事なお手前が続いている。環の揺れも見逃さないで、茶事の心ゆたかさを味わっているのである。作者は宇治の人。

猫柳とほき波よりひかり呼び   太田 のぶ子

 遠波が白く線を描き、まるでひかりを呼ぶように打ち寄せてくる。岸には芽吹く木々、殊に猫柳のふっくらとした輝きが春の訪れを告げている。「ひかり呼び」に沖より手をつなぎ来る白波の輝きが感覚的に描写され、波音まで鮮明。猫柳の芽吹きを囃すような波の音である。作者は姫路の人。

碁敵と鶯餅を頬張りぬ水   芝山 康夫

 碁を始める前か後かは分からないが、共に鶯餅を頬張っている。ひと息つくときは碁から離れて「おゝ鶯餅か、春だなあ。初音は聞いたか」等、鶯餅から話題をひろげている二人の関係が見えてくる。「頬張りぬ」に遠慮のない長年の付合。作者は千葉の人。

立像の柔らかき線冬木の芽   津川 聖久

 立像は女性の裸像であろう。柔らかくしなやかな線。冬木の芽に囲まれていることで、像の線がいっそう柔らかく感じられるというのである。作者は寒さにコートの衿を立てながら裸木を見上げると、芽吹きの尖りを発見。まだ肌を突きそうな芽である。そしてやおら、裸像を見返る。取り合わせが斬新。作者は尾道の人。

味噌仕込みをへて厨に夕日かな   藤原 幸子

 厨に夕日が届いている。あゝもう夕方かと気付き、味噌の仕込みに一日中かかったと。これで今年一年みそ汁が頂けると、安堵と感謝の気持ちでしみじみと夕日を浴びている。 豆も畑で育てすべて自給自足の生活ができる。達者さ、働けるよろこびが滲み出ている。九十歳の作者は三次の人。

左義長や囲ひは雪の高き壁   大上 章子

 左義長は小正月の火祭行事。新年の飾り物を集めて、雪の高い壁に囲まれて焼いている。雪掻きをした後の雪が積もって、高い壁になっているのだ。その雪は寒さで解けない。そうした雪の壁に炎が映り、さぞ美しいことだろう。 雪国ならではの景である。作者は富山の人。

寒紅梅貨物列車の停る駅   松浪 政子

 駅に寒紅梅が咲き、香りを放つほど大樹。長い運搬の貨物列車が停るという駅なので、かなり大きな駅で、工場があり、貨物の荷が降ろされる。乗降の人もなく、荷だけの駅は殺風景。そんな駅を寒気さ中に花ひらく紅梅が鮮やかで美事だというのである。貨物列車と寒紅梅の取り合わせの妙。作者は大竹の人。

骨揚げの骨の太さよ冬日和   太箸 真沙

 亡くなった人の骨揚げをしている。その骨の太さに驚き、体格の立派だったことを偲んでいる。なのに、死んでしもうてと、無念さがいっそう慕る。外に出ればからりと晴れた冬日向が目に沁みるばかり。いっそう切なさをさそう。作者は浜松の人。

塩田のひとつひとつに初日かな   住友 幸雄

 塩田というと塩の白さも想像する。広い塩田の中を更に塩田が仕切られている。沈澱の濃淡があるのだろうけれど、そのひとつひとつに初日が届いている。初日の無垢のかがやきが塩田の白さをいっそう引き立てているという大景。作者は佐倉の人。

初富士へ波押し上げて船出かな  荒巻 久江
ひらがなの名前の太しお書初   斎藤 直子
水仙の土手の向かうに水平線   堀田 ちえみ
着初めの腰紐ぎゆつと締め直す  吉田 孝子
寒梅の白一輪へ歩を寄する    布瀬川 大資
嘴あとの柚子も浮かべて長湯かな 山岡 ひろみ
張り詰めて空へ近づく冬の川   竹原 陽子
幾筋も長きままなり夕氷柱    世羅 智子
ころころと小石転がる雪解川   友弘 和子
コロナ禍の寒九の水を飲み干せり 青木 千春
待ちわびし大き荷ほどく雨水かな 三河 四温
幼き手で氷柱に触るる雫かな   辻井 康子
大樟と真向き合ひたる余寒かな  中島 麻美

令和3年(2021)

3月号 鈴木 厚子 副主宰

穏やかな波の光や蜜柑山   世羅 智子(巻頭)

 穏やかな波に光がのって、鏡のような海面。山肌には熟れ蜜柑が朱色の花のよう。その一つ一つに穏やかな波の光が届いていて、甘さを増す。瀬戸内海の蜜柑山である。さらりとした表現だが、自分の詩情を大事にした滋味のある作品となった。作者は広島の人。

正月の絵凧字だこの絡みあふ   青島 眞澄

 凧は本来春の季語。しかもこの作者の浜松は、浜松祭の中心行事の凧揚合戦が有名。五月三~五日の中田鳥砂丘で大凧をあやつって凧糸を切り合う豪快さは迫力がある。しかしこの作品は正月の凧の絵凧と字だけの凧が絡みあうという眼前を詠んでいる。凧合戦へ向けての練習かどうかは わからないけれど、平素から凧揚げは盛んなのだろう。絵凧と字凧というだけでも臨場感はあるし、その糸が絡んで自由を失った凧がおもしろく見えてくる。作者は浜松の人。

藪柑子啄む鳥も赫らみて   住友 幸雄

 庭木や山林の陰などに、膝丈くらいの小灌木に赤い実が二三粒ぶらさがっているのを見かける。これが藪柑子で、 新年の蓬萊台に用いられ、赤の鮮明な艶やかな実が、万葉集などにも歌われている。盆栽などにもめでたいものとし て愛好されている。その藪柑子を鳥が啄んでいるではないか。口嘴をいっぱいにして、ようやく一粒を飲み込む、そ の満足気な鳥は体まで赫らんでいるようだというのである。つぶらな藪柑子の実がいきいきと捉えられている。作者は佐倉の人。

揚羽子や元禄袖の蝶のごと   西村 みづほ

 羽子板遊びをしていて、羽子が揚がるたびに、袖の短い元禄が蝶のように舞っている。現代も女の子が晴れ着を着て羽子板遊びをしているなんて、いかにも京都らしい。 羽子を打つ音がかろやかで、少女たちの笑い声がひびき、 疫病の世を吹きとばしてくれている。作者は京都の人。

寒暁やチェーンを巻きしバス走る   佐々木 俊樹

 寒の夜明けで、まだ太陽も顔を出しきらない薄暗さの中、最も寒さが厳しい刻。タイヤにチェーンを巻いたバスが凍てた雪道に鎖を食い込ませ、音をたてて行く。鈍重な巨体のバスが鎖の音をさせ、あたりの寒気を震わせていることに、作者も身震いをしている。簡明だが、秘めた感性の鋭さ。作者は東広島の人。

雪晴の野に布晒す草木染   椿 恒平

 雪原に草木染の布を晒している。長い布を引っぱり合って雪に晒している景をテレビで見たことがある。雪原がまぶしく、雪で色を引き締め、色褪せないためだという。雪晴れの野を想像するだけでも美しいし、草木染の色も鮮やかだ。風土に根ざした作品で鮮明な一語に尽きる。作者は 大阪の人。

骨折や冬芽の固きしだれ梅   山岡 ひろみ

 どこの骨を骨接されたのか分からないが、何を見ても作者の目に映るものは冬芽の固さである。しだれ梅を見ても固い冬芽が先に目に入り、このしだれ梅が満開のころは骨接も癒えていることだろうと、いうのである。自然に目を向けて骨接の痛さに耐えている作者。広島の人。

元旦の雪で明けたる静けさよ   吉田 孝子

 広島市内の元旦は雪で明けた。雪のおかげで静けさをともない、雪の清々しさにめでたさを感じている。温暖な広島では雪はめずらしく、戸を開けて雪を愛でている。単明をきわめた作品で、なにかしら寂しさも感じる。作者は広島の人。

冬の虹乗船の間に消ゆるなり   齊木 和子

 乗船しようとしたら、冬の虹を見つけた。乗船して、ゆっくり眺めようと楽しみにしていたのに、乗船して捜すけれど消えてしまっていたのだ。冬の虹という目を惹く艶麗はひとしおだが、すぐに消えるということを知った。はかない孤愁を感じつつ余韻にふける作者。宮島の人。

初晴や阿夫利嶺ひだを深くせる   荒巻 久江

 阿夫利嶺は丹沢山地の南東、厚木、伊勢原、秦野三市にまたがる標高一二四六メートル。雨乞いに霊験あらたかという雨降山の異称がある。阿夫利嶺を打ち仰ぎながら、初晴れで懐の深さを感じ、その雄々しさに淑気さえ覚えている。「初」の一字に千鈞の重みがあるというのである。作者は平塚の人。

隣家へと風呂敷包み女正月    川添 弘幸
寒禽や城址の中に我が母校    古西 純子
心よき日の照り返す今日冬至   古岡 壽美恵
竹串の穴の人参夫の皿      前田 節
餅花やほつぺにひとつ飴を入れ  竹原 陽子
爼板に身を硬くする海鼠かな   水野 春美
寒満月けふの看護を終へる道   廣田 華子
声にして一句認め初硯      志賀 理子
木造りの天守時雨の中に立ち   岩本 貴志
月明り梅満開の香りかな     福島 敦子

 

令和3年(2021)

2月号 鈴木 厚子 副主宰

うすら日の木肌に照るや冬木立   居相 みな子(巻頭)

 冬木立の木々の肌にうつすらと冬日が照っている。木の 肌に焦点を絞ったことによって、一本一本の裸木が見え、 いっそう深閑とした冬木立となった。地には裸木の影もあ り、日筋となって神秘的。作者は宇治の人。

揺り椅子の膝に散り来る楡黄葉   布瀬川 大資

 庭に楡の大樹があるのだろう。楡の散り黄葉が揺り椅子 に腰かけている自分の膝に飛んできた。その一枚を手にとって、あらためて、楡の木を見上げている。いろいろの思い出をたどりながら。楡は中・四国・九州の温暖地では 見かけないが、北の国に多く、一見櫟に似ていて葉のまわりがぎざぎざで、黄葉は美しい。作者は日野の人。

綿虫や日の翳りたる駐車場   世羅 智子

 だだ広い駐車場が薄暮となる中、綿玉のように綿虫が浮 遊しているではないか。一匹手に取ってしげしげと見つめ、 どこから飛んできたのかしらと周囲を見渡すが、樹木らしいものもなく、コンクリートの駐車場が広がるばかり。何 もないだけに暮色に漂う綿虫は一段と幻妙。作者は広島の人。

一茶忌や利根にひと筋煙立ち   岩﨑 利晴

 利根川に沿いひと筋の煙が立っているのを発見。秋収め の煙だろうかと見つつ、今日は小林一茶の忌日だ(陰暦 十一月十九日)と思い起こしている。一茶もこの辺りを駆けて葛飾派の俳諧師で身を立てていたのだろう。境涯俳句 を詠み、『七番日記』を遺したなーと、一茶の生涯を偲ん でいる。ひと筋の煙から一茶に及ぶなんて。作者は東京の人。

鱈汁や身はほろほろと骨太し   古西 純子

 鱈汁を味わっている。身が厚く柔らかく、箸先でほろほろと崩れ、骨に達すると、骨が太く、しっかりとしているのに驚いている。立派な鱈だったのだと気づく。雄の白子も美味。鱈によって北国に活気がよみがえると言われているが、「骨太し」に作品の背景が出ている。作者は小松の人。

とびついて腕ぎたるあけび友と食ぶ   木村 あき子

 友人と吟行か散歩していて、あけびの実を見つけた。少し高い所だったが、とびついてやっと腕ぐことができた。紫の楕円型の実を手にし、これこれ、昔よく食べたものよと、懐かしんで見惚れている。熟れた上品な味わいの果実 を友と惜しみ惜しみ食べている。「とびついて」に臨場感 が出た。作者は船橋の人。

水底の岩に落ちつく木の葉かな   飯野 武仁

 木の葉が水底の岩にまで落ち、岩の上にひらりと止まり、落ちつくという。水が透き通っていることがわかる。「岩 に落ちつく」に木の葉に命があるように見ているのがいい。
作者は佐倉の人。

膨める薬袋や神の留守   前田 節

 処方箋通りに薬をもらうのだが、その量が多く、薬袋が 膨らんでいる、手渡す作者は薬剤師で、この薬がないと生 きていけない患者だと思うと「お大事に」と言って膨らんだ薬袋を渡す。「神の留守」とは関りなく眼前には現実があると思いながら神の留守の季を思っている。作者は広島 の人。

岩肌に白き筋引き秋の水   保光 由美子

 岩肌を白い筋を引いて水が流れている。滝ほどの勢いの ある水ではなく、白い筋になって流れるその清冽さを秋の 水だと直感。秋の水を白い筋で鮮明に描いている。作者は 東広島の人。

明日にも鈴なり檸檬収穫を   矢吹 通子

 鈴なりの檸檬とはめずらしい。枝をたわます檸檬を見な がら明日にも収穫だというのである。なんということもな い平明な句だが、蜜柑や柚子とは違う。檸檬の鮮やかな黄、その形その芳香、もの音ひとつしない秋の昼。自然と人の 微妙さを思う。作者は大和郡山の人。

佳句の五句
弧を描きて雪吊りの縄宙へ投げ   田浦 朝子
箒目に十一月の日和かな      芝山 康夫
中天に書割のごと今日の月     小林  秀
小春日や漬樽洗ふ水はじき     福田 美和
梢くべて長湯勧むる宿あるじ    亀田 喜美惠
飛鳥路の煙り幾筋冬隣       安藤 照枝
お汁粉の餅膨るるや模試の朝    志賀 理子
コロナ禍でいつの間にやら師走かな 高垣 美智代
木肌の皮十一月の日にゆるび    廣田 華子
がばつと浮き落葉咥へて池の鯉   橋本 信義

令和3年(2021)

1月号 鈴木 厚子 副主宰

石山に紅さし始む神無月   黒川 愛子(巻頭)

 石を削る山、高砂市の龍山で、昔は城の崖石になり、現在も建築の材として産出されている。その削られていく白い山肌に紅が差し始めたと感受。毎日眺めていてこそ気づく。しかも神さまが出雲へお出かけになってしまった淋しさの中でという。リズムもよく感覚が素晴らしい。作者は 高砂の人。

しやがむ児のさらに目の下秋の蝶   岩本 博行

 しゃがみ込んでいる児のさらに目の下を秋の蝶が飛んで いる。寒さでだんだん元気がなくなり、秋光に漂う蝶。それゆえに、低くそして鮮やかだ。はかないいのちの必滅のわびしさが「しゃがむ児のさらに目の下」と低さを具体的に写生している。作者は市川の人。

秋の暮顔見えぬまで話す人   細野 健二

 「顔見えぬまで話す人」に、釣瓶落しの秋の暮がよく出ている。本人同士はさほどでなくても、第三者には顔も見えないだろうにと。なんの衒いもみせず、季節の変貌を鋭く捉え、日常の生活をさらりと詠んでいる。作者は八王子市の人。

白秋の光差す午後父逝きぬ   斎藤 直子

 「白秋の光差す」に澄んだ空気、山々が粧っている秋日の美しい中、しかも暖かい午後に父が亡くなった。「白秋」の語に神に召された父への静かな祈りと尊敬の念が出ている。作者は八王子の人。

銀漢の海の真闇へ真つ逆様   中島 麻美

 天の川が海の真闇へ真っ逆さまに落ちていくようだと、 胸のすくようなスケールの大きい句。「銀漢」としたことで神秘さが出た。作者は長崎の人。

掘る度に笑ひのおこる甘藷不作   本池 和子

 「甘藷不作」で、粒が小さく根が長いばかりで、掘る度に笑いがおこる。期待はずれの甘藷だが「笑ひのおこる」 に救われる楽しさ。土まみれになった笑顔が見えてくる。作者は高砂の人。

松手入れ地下足袋しかと幹とらへ   辻井 康子

 「地下足袋しかと幹とらへ」に、長地下足袋で身軽く幹を捉えながら登ったり下りたりしている庭師。一本の松の手入れを梯子なしで、その熟練技の美しさに見惚れている。 作者は広島の人。

名月や電話は嬰の喃語かな   糟谷 光子

 外は名月の明るさ、電話に嬰の声がしている。幼児は何をしゃべっているのか判らないけれど、ともかく元気でいることがうれしく幸せである。たいへん明るい夢のある句。 作者は高砂の人。

姉帰る木犀の香の闇夜より   前田 節

 姉が帰って来る。「木犀の香の闇夜より」に、久々に逢う姉が勤務を終えて靴音をさせて、さっそうと帰って来る。木犀の香る「闇夜」という把握に作品の背景を展き、内容を深くした。 作者は広島の人。

紅葉晴疫病(えやみ)鎮めと火を渡る   田浦 朝子

 「疫病み」はコロナだろう。鎮まれと願いながら火渡り神事の火を渡っている。周囲は紅葉の山々で、しかも日本晴れ。火渡りの火と紅葉の色、すべて錦繍の秋の一日に疫病みも鎮まったにちがいない。作者は船橋の人。

小流れの奥へと石蕗の花明かり  世羅 智子
艶やかに油に馴染む秋茄子    西部 栄子
菊日和石橋木橋渡りけり     山岡 ひろみ
立冬や玄関の戸に油注す     芝山 康夫
新聞を見開く音と秋の日と    佐々木 俊樹
男来て落葉掃きゐる尼の寺    荒巻 久江
夜学生の走る靴音十三夜     古岡 壽美恵
鳶の輪の海にひろごる菊日和   熊谷 キヨヱ
一踏み込みて出口わからぬ芒原  橋本 園江
虫籠を玄関ぐちに通し土間    青木 千春
横ゆれて歩道横切る枯蟷螂    宮坂 千枝子
サッカー少年滴る汗と満天星   伊藤 佳子