会員作品

紅頬集 秀句佳句

 会員の方の作品集「紅頬集(こうきょうしゅう)」より、特に優れた俳句の選評「紅頬集 秀句・佳句」を転載しています。
令和2年(2020)7月号より、「紅頬集」の選は、田島和生主宰より鈴木厚子副主宰へ引き継がれました。それに伴い、選評も鈴木副主宰となりました。

令和3年(2021)

4月号 鈴木 厚子 副主宰

初雪のひらりと消ゆる手の平に   古岡 壽美恵(巻頭)

 あゝ初雪だと、手を差しのべ、手の平に受けている。初雪は花びらのようにひらりとひるがえって消えた。あっという間の事。華ぐ心で、いとしいものを見ているように、初雪のいのちを捉えている。年を重ねても、いつも乙女の心で感動を詠っている。作者は市川の人。

釣釜の大きな鐶の揺らぎかな   大前 美智子

 茶事では冬の茶釜は炉にかけて湯を沸かすが、三月に入ると、この釜は、天井から自在鉤を用いて吊る。それを釣釜といって春の季語。そして五月に入ると風呂釜になって畳の上に据えられる。作者は釣釜の両脇に付いている鉄の大きな銀の揺れにはっとしている。釣釜の不安定さに湯を汲む柄杓の触れで揺れたのだろう。茶室は水を打ったような静けさで、湯の沸く音のみで粛然としている。流れるような美事なお手前が続いている。環の揺れも見逃さないで、茶事の心ゆたかさを味わっているのである。作者は宇治の人。

猫柳とほき波よりひかり呼び   太田 のぶ子

 遠波が白く線を描き、まるでひかりを呼ぶように打ち寄せてくる。岸には芽吹く木々、殊に猫柳のふっくらとした輝きが春の訪れを告げている。「ひかり呼び」に沖より手をつなぎ来る白波の輝きが感覚的に描写され、波音まで鮮明。猫柳の芽吹きを囃すような波の音である。作者は姫路の人。

碁敵と鶯餅を頬張りぬ水   芝山 康夫

 碁を始める前か後かは分からないが、共に鶯餅を頬張っている。ひと息つくときは碁から離れて「おゝ鶯餅か、春だなあ。初音は聞いたか」等、鶯餅から話題をひろげている二人の関係が見えてくる。「頬張りぬ」に遠慮のない長年の付合。作者は千葉の人。

立像の柔らかき線冬木の芽   津川 聖久

 立像は女性の裸像であろう。柔らかくしなやかな線。冬木の芽に囲まれていることで、像の線がいっそう柔らかく感じられるというのである。作者は寒さにコートの衿を立てながら裸木を見上げると、芽吹きの尖りを発見。まだ肌を突きそうな芽である。そしてやおら、裸像を見返る。取り合わせが斬新。作者は尾道の人。

味噌仕込みをへて厨に夕日かな   藤原 幸子

 厨に夕日が届いている。あゝもう夕方かと気付き、味噌の仕込みに一日中かかったと。これで今年一年みそ汁が頂けると、安堵と感謝の気持ちでしみじみと夕日を浴びている。 豆も畑で育てすべて自給自足の生活ができる。達者さ、働けるよろこびが滲み出ている。九十歳の作者は三次の人。

左義長や囲ひは雪の高き壁   大上 章子

 左義長は小正月の火祭行事。新年の飾り物を集めて、雪の高い壁に囲まれて焼いている。雪掻きをした後の雪が積もって、高い壁になっているのだ。その雪は寒さで解けない。そうした雪の壁に炎が映り、さぞ美しいことだろう。 雪国ならではの景である。作者は富山の人。

寒紅梅貨物列車の停る駅   松浪 政子

 駅に寒紅梅が咲き、香りを放つほど大樹。長い運搬の貨物列車が停るという駅なので、かなり大きな駅で、工場があり、貨物の荷が降ろされる。乗降の人もなく、荷だけの駅は殺風景。そんな駅を寒気さ中に花ひらく紅梅が鮮やかで美事だというのである。貨物列車と寒紅梅の取り合わせの妙。作者は大竹の人。

骨揚げの骨の太さよ冬日和   太箸 真沙

 亡くなった人の骨揚げをしている。その骨の太さに驚き、体格の立派だったことを偲んでいる。なのに、死んでしもうてと、無念さがいっそう慕る。外に出ればからりと晴れた冬日向が目に沁みるばかり。いっそう切なさをさそう。作者は浜松の人。

塩田のひとつひとつに初日かな   住友 幸雄

 塩田というと塩の白さも想像する。広い塩田の中を更に塩田が仕切られている。沈澱の濃淡があるのだろうけれど、そのひとつひとつに初日が届いている。初日の無垢のかがやきが塩田の白さをいっそう引き立てているという大景。作者は佐倉の人。

初富士へ波押し上げて船出かな  荒巻 久江
ひらがなの名前の太しお書初   斎藤 直子
水仙の土手の向かうに水平線   堀田 ちえみ
着初めの腰紐ぎゆつと締め直す  吉田 孝子
寒梅の白一輪へ歩を寄する    布瀬川 大資
嘴あとの柚子も浮かべて長湯かな 山岡 ひろみ
張り詰めて空へ近づく冬の川   竹原 陽子
幾筋も長きままなり夕氷柱    世羅 智子
ころころと小石転がる雪解川   友弘 和子
コロナ禍の寒九の水を飲み干せり 青木 千春
待ちわびし大き荷ほどく雨水かな 三河 四温
幼き手で氷柱に触るる雫かな   辻井 康子
大樟と真向き合ひたる余寒かな  中島 麻美

令和3年(2021)

3月号 鈴木 厚子 副主宰

穏やかな波の光や蜜柑山   世羅 智子(巻頭)

 穏やかな波に光がのって、鏡のような海面。山肌には熟れ蜜柑が朱色の花のよう。その一つ一つに穏やかな波の光が届いていて、甘さを増す。瀬戸内海の蜜柑山である。さらりとした表現だが、自分の詩情を大事にした滋味のある作品となった。作者は広島の人。

正月の絵凧字だこの絡みあふ   青島 眞澄

 凧は本来春の季語。しかもこの作者の浜松は、浜松祭の中心行事の凧揚合戦が有名。五月三~五日の中田鳥砂丘で大凧をあやつって凧糸を切り合う豪快さは迫力がある。しかしこの作品は正月の凧の絵凧と字だけの凧が絡みあうという眼前を詠んでいる。凧合戦へ向けての練習かどうかは わからないけれど、平素から凧揚げは盛んなのだろう。絵凧と字凧というだけでも臨場感はあるし、その糸が絡んで自由を失った凧がおもしろく見えてくる。作者は浜松の人。

藪柑子啄む鳥も赫らみて   住友 幸雄

 庭木や山林の陰などに、膝丈くらいの小灌木に赤い実が二三粒ぶらさがっているのを見かける。これが藪柑子で、 新年の蓬萊台に用いられ、赤の鮮明な艶やかな実が、万葉集などにも歌われている。盆栽などにもめでたいものとし て愛好されている。その藪柑子を鳥が啄んでいるではないか。口嘴をいっぱいにして、ようやく一粒を飲み込む、そ の満足気な鳥は体まで赫らんでいるようだというのである。つぶらな藪柑子の実がいきいきと捉えられている。作者は佐倉の人。

揚羽子や元禄袖の蝶のごと   西村 みづほ

 羽子板遊びをしていて、羽子が揚がるたびに、袖の短い元禄が蝶のように舞っている。現代も女の子が晴れ着を着て羽子板遊びをしているなんて、いかにも京都らしい。 羽子を打つ音がかろやかで、少女たちの笑い声がひびき、 疫病の世を吹きとばしてくれている。作者は京都の人。

寒暁やチェーンを巻きしバス走る   佐々木 俊樹

 寒の夜明けで、まだ太陽も顔を出しきらない薄暗さの中、最も寒さが厳しい刻。タイヤにチェーンを巻いたバスが凍てた雪道に鎖を食い込ませ、音をたてて行く。鈍重な巨体のバスが鎖の音をさせ、あたりの寒気を震わせていることに、作者も身震いをしている。簡明だが、秘めた感性の鋭さ。作者は東広島の人。

雪晴の野に布晒す草木染   椿 恒平

 雪原に草木染の布を晒している。長い布を引っぱり合って雪に晒している景をテレビで見たことがある。雪原がまぶしく、雪で色を引き締め、色褪せないためだという。雪晴れの野を想像するだけでも美しいし、草木染の色も鮮やかだ。風土に根ざした作品で鮮明な一語に尽きる。作者は 大阪の人。

骨折や冬芽の固きしだれ梅   山岡 ひろみ

 どこの骨を骨接されたのか分からないが、何を見ても作者の目に映るものは冬芽の固さである。しだれ梅を見ても固い冬芽が先に目に入り、このしだれ梅が満開のころは骨接も癒えていることだろうと、いうのである。自然に目を向けて骨接の痛さに耐えている作者。広島の人。

元旦の雪で明けたる静けさよ   吉田 孝子

 広島市内の元旦は雪で明けた。雪のおかげで静けさをともない、雪の清々しさにめでたさを感じている。温暖な広島では雪はめずらしく、戸を開けて雪を愛でている。単明をきわめた作品で、なにかしら寂しさも感じる。作者は広島の人。

冬の虹乗船の間に消ゆるなり   齊木 和子

 乗船しようとしたら、冬の虹を見つけた。乗船して、ゆっくり眺めようと楽しみにしていたのに、乗船して捜すけれど消えてしまっていたのだ。冬の虹という目を惹く艶麗はひとしおだが、すぐに消えるということを知った。はかない孤愁を感じつつ余韻にふける作者。宮島の人。

初晴や阿夫利嶺ひだを深くせる   荒巻 久江

 阿夫利嶺は丹沢山地の南東、厚木、伊勢原、秦野三市にまたがる標高一二四六メートル。雨乞いに霊験あらたかという雨降山の異称がある。阿夫利嶺を打ち仰ぎながら、初晴れで懐の深さを感じ、その雄々しさに淑気さえ覚えている。「初」の一字に千鈞の重みがあるというのである。作者は平塚の人。

隣家へと風呂敷包み女正月    川添 弘幸
寒禽や城址の中に我が母校    古西 純子
心よき日の照り返す今日冬至   古岡 壽美恵
竹串の穴の人参夫の皿      前田 節
餅花やほつぺにひとつ飴を入れ  竹原 陽子
爼板に身を硬くする海鼠かな   水野 春美
寒満月けふの看護を終へる道   廣田 華子
声にして一句認め初硯      志賀 理子
木造りの天守時雨の中に立ち   岩本 貴志
月明り梅満開の香りかな     福島 敦子

 

令和3年(2021)

2月号 鈴木 厚子 副主宰

うすら日の木肌に照るや冬木立   居相 みな子(巻頭)

 冬木立の木々の肌にうつすらと冬日が照っている。木の 肌に焦点を絞ったことによって、一本一本の裸木が見え、 いっそう深閑とした冬木立となった。地には裸木の影もあ り、日筋となって神秘的。作者は宇治の人。

揺り椅子の膝に散り来る楡黄葉   布瀬川 大資

 庭に楡の大樹があるのだろう。楡の散り黄葉が揺り椅子 に腰かけている自分の膝に飛んできた。その一枚を手にとって、あらためて、楡の木を見上げている。いろいろの思い出をたどりながら。楡は中・四国・九州の温暖地では 見かけないが、北の国に多く、一見櫟に似ていて葉のまわりがぎざぎざで、黄葉は美しい。作者は日野の人。

綿虫や日の翳りたる駐車場   世羅 智子

 だだ広い駐車場が薄暮となる中、綿玉のように綿虫が浮 遊しているではないか。一匹手に取ってしげしげと見つめ、 どこから飛んできたのかしらと周囲を見渡すが、樹木らしいものもなく、コンクリートの駐車場が広がるばかり。何 もないだけに暮色に漂う綿虫は一段と幻妙。作者は広島の人。

一茶忌や利根にひと筋煙立ち   岩﨑 利晴

 利根川に沿いひと筋の煙が立っているのを発見。秋収め の煙だろうかと見つつ、今日は小林一茶の忌日だ(陰暦 十一月十九日)と思い起こしている。一茶もこの辺りを駆けて葛飾派の俳諧師で身を立てていたのだろう。境涯俳句 を詠み、『七番日記』を遺したなーと、一茶の生涯を偲ん でいる。ひと筋の煙から一茶に及ぶなんて。作者は東京の人。

鱈汁や身はほろほろと骨太し   古西 純子

 鱈汁を味わっている。身が厚く柔らかく、箸先でほろほろと崩れ、骨に達すると、骨が太く、しっかりとしているのに驚いている。立派な鱈だったのだと気づく。雄の白子も美味。鱈によって北国に活気がよみがえると言われているが、「骨太し」に作品の背景が出ている。作者は小松の人。

とびついて腕ぎたるあけび友と食ぶ   木村 あき子

 友人と吟行か散歩していて、あけびの実を見つけた。少し高い所だったが、とびついてやっと腕ぐことができた。紫の楕円型の実を手にし、これこれ、昔よく食べたものよと、懐かしんで見惚れている。熟れた上品な味わいの果実 を友と惜しみ惜しみ食べている。「とびついて」に臨場感 が出た。作者は船橋の人。

水底の岩に落ちつく木の葉かな   飯野 武仁

 木の葉が水底の岩にまで落ち、岩の上にひらりと止まり、落ちつくという。水が透き通っていることがわかる。「岩 に落ちつく」に木の葉に命があるように見ているのがいい。
作者は佐倉の人。

膨める薬袋や神の留守   前田 節

 処方箋通りに薬をもらうのだが、その量が多く、薬袋が 膨らんでいる、手渡す作者は薬剤師で、この薬がないと生 きていけない患者だと思うと「お大事に」と言って膨らんだ薬袋を渡す。「神の留守」とは関りなく眼前には現実があると思いながら神の留守の季を思っている。作者は広島 の人。

岩肌に白き筋引き秋の水   保光 由美子

 岩肌を白い筋を引いて水が流れている。滝ほどの勢いの ある水ではなく、白い筋になって流れるその清冽さを秋の 水だと直感。秋の水を白い筋で鮮明に描いている。作者は 東広島の人。

明日にも鈴なり檸檬収穫を   矢吹 通子

 鈴なりの檸檬とはめずらしい。枝をたわます檸檬を見な がら明日にも収穫だというのである。なんということもな い平明な句だが、蜜柑や柚子とは違う。檸檬の鮮やかな黄、その形その芳香、もの音ひとつしない秋の昼。自然と人の 微妙さを思う。作者は大和郡山の人。

佳句の五句
弧を描きて雪吊りの縄宙へ投げ   田浦 朝子
箒目に十一月の日和かな      芝山 康夫
中天に書割のごと今日の月     小林  秀
小春日や漬樽洗ふ水はじき     福田 美和
梢くべて長湯勧むる宿あるじ    亀田 喜美惠
飛鳥路の煙り幾筋冬隣       安藤 照枝
お汁粉の餅膨るるや模試の朝    志賀 理子
コロナ禍でいつの間にやら師走かな 高垣 美智代
木肌の皮十一月の日にゆるび    廣田 華子
がばつと浮き落葉咥へて池の鯉   橋本 信義

令和3年(2021)

1月号 鈴木 厚子 副主宰

石山に紅さし始む神無月   黒川 愛子(巻頭)

 石を削る山、高砂市の龍山で、昔は城の崖石になり、現在も建築の材として産出されている。その削られていく白い山肌に紅が差し始めたと感受。毎日眺めていてこそ気づく。しかも神さまが出雲へお出かけになってしまった淋しさの中でという。リズムもよく感覚が素晴らしい。作者は 高砂の人。

しやがむ児のさらに目の下秋の蝶   岩本 博行

 しゃがみ込んでいる児のさらに目の下を秋の蝶が飛んで いる。寒さでだんだん元気がなくなり、秋光に漂う蝶。それゆえに、低くそして鮮やかだ。はかないいのちの必滅のわびしさが「しゃがむ児のさらに目の下」と低さを具体的に写生している。作者は市川の人。

秋の暮顔見えぬまで話す人   細野 健二

 「顔見えぬまで話す人」に、釣瓶落しの秋の暮がよく出ている。本人同士はさほどでなくても、第三者には顔も見えないだろうにと。なんの衒いもみせず、季節の変貌を鋭く捉え、日常の生活をさらりと詠んでいる。作者は八王子市の人。

白秋の光差す午後父逝きぬ   斎藤 直子

 「白秋の光差す」に澄んだ空気、山々が粧っている秋日の美しい中、しかも暖かい午後に父が亡くなった。「白秋」の語に神に召された父への静かな祈りと尊敬の念が出ている。作者は八王子の人。

銀漢の海の真闇へ真つ逆様   中島 麻美

 天の川が海の真闇へ真っ逆さまに落ちていくようだと、 胸のすくようなスケールの大きい句。「銀漢」としたことで神秘さが出た。作者は長崎の人。

掘る度に笑ひのおこる甘藷不作   本池 和子

 「甘藷不作」で、粒が小さく根が長いばかりで、掘る度に笑いがおこる。期待はずれの甘藷だが「笑ひのおこる」 に救われる楽しさ。土まみれになった笑顔が見えてくる。作者は高砂の人。

松手入れ地下足袋しかと幹とらへ   辻井 康子

 「地下足袋しかと幹とらへ」に、長地下足袋で身軽く幹を捉えながら登ったり下りたりしている庭師。一本の松の手入れを梯子なしで、その熟練技の美しさに見惚れている。 作者は広島の人。

名月や電話は嬰の喃語かな   糟谷 光子

 外は名月の明るさ、電話に嬰の声がしている。幼児は何をしゃべっているのか判らないけれど、ともかく元気でいることがうれしく幸せである。たいへん明るい夢のある句。 作者は高砂の人。

姉帰る木犀の香の闇夜より   前田 節

 姉が帰って来る。「木犀の香の闇夜より」に、久々に逢う姉が勤務を終えて靴音をさせて、さっそうと帰って来る。木犀の香る「闇夜」という把握に作品の背景を展き、内容を深くした。 作者は広島の人。

紅葉晴疫病(えやみ)鎮めと火を渡る   田浦 朝子

 「疫病み」はコロナだろう。鎮まれと願いながら火渡り神事の火を渡っている。周囲は紅葉の山々で、しかも日本晴れ。火渡りの火と紅葉の色、すべて錦繍の秋の一日に疫病みも鎮まったにちがいない。作者は船橋の人。

小流れの奥へと石蕗の花明かり  世羅 智子
艶やかに油に馴染む秋茄子    西部 栄子
菊日和石橋木橋渡りけり     山岡 ひろみ
立冬や玄関の戸に油注す     芝山 康夫
新聞を見開く音と秋の日と    佐々木 俊樹
男来て落葉掃きゐる尼の寺    荒巻 久江
夜学生の走る靴音十三夜     古岡 壽美恵
鳶の輪の海にひろごる菊日和   熊谷 キヨヱ
一踏み込みて出口わからぬ芒原  橋本 園江
虫籠を玄関ぐちに通し土間    青木 千春
横ゆれて歩道横切る枯蟷螂    宮坂 千枝子
サッカー少年滴る汗と満天星   伊藤 佳子