会員作品

紅頬集 秀句佳句

 会員の方の作品集「紅頬集(こうきょうしゅう)」から、特に優れた俳句について、田島和生主宰が選評をくださる「紅頬集 秀句・佳句」を転載しています。

 

 

令和2年(2020)

3月号

笹鳴や石棺にある日のぬくみ   溝西 澄恵(巻頭)

 笹鳴(ささなき)は冬の鶯の鳴き声である。笹薮に「ちゃっちゃっ」と鳴くことが多く、「笹子鳴く」ともいう。古墳の近くで笹子が鳴いている。むき出しの石棺に触れれば、心なしか温かい。笹鳴と石棺の温みはまもなく訪れる春を思わせる。五感を働かせ、妙味に溢れた作品である。

金粉を蕎麦にふりかけ御慶かな   鷹峰 正龍

 お正月、蕎麦屋で、置かれた金粉を蕎麦にかけ、お互いに「おめでとう」と言い合う。そんな様子が想像され、いかにも和やかで正月らしい風景である。金沢の食堂で、金粉入りのうどんを食べたこともあるが、金粉はやはり正月がふさわしいかもしれまない。

枯尾花ひとり稽古のちんどん屋   岩埼 利晴

 町外れで男が一人、ちんどん屋の練習をしている。穂花をなびかせ、群れた枯芒の中から「チンチン、ドンドン」と鉦や太鼓が鳴る。どこかうら寂しい光景だが、社会性もあり、異色作である。〈日溜りや兎の齧るパンの耳〉も個性的でいい。

朽舟の波にもまるる寒さかな   荒巻 久江

 小さな漁港か河口辺りの嘱目吟だろうか。丁寧な写生で下五の「寒さかな」で調べを整え、良い作品に仕上げた。〈ふくれ来て餅は小さき音立てり〉は、ユーモラスで楽しい。

床の間に蜜こぼしけり冬椿   小田川 俊子

 お正月に火器を活け、床の間に飾った椿の花が蜜をこぼしていた。温かい部屋で、春到来を間違えて蜜をこぼしたのかもしれぬ。何気ない光景だが、椿の様子を鮮やかに描いている。そういえば、子どもの時分、椿の甘い蜜を吸ったことがある。

ベランダの銀杏落葉を掃きゐたる   武田 久美子

 マンションのベランダに、近くの大いちょうが盛んに葉を散らす。ベランダに出ては金色の落葉を掃くのが最近の日課である。穏やかな、日々の流れを思わせ、味わい深い小品ともいえる。

氷魚の糶すぐに終はりし港かな   竹内 悦子

 氷魚(ひを)は鮎の稚魚。冬場は白く透き通って見える。琵琶湖では魞に入ったのをすくって採るが、最近、漁獲量が少ない。その様子を「糶すぐに終はりし」とずばりと詠む。「港かな」の止め方も無駄がなくていい。氷魚は茹でて三杯酢で味わっても大変おいしい。

大はまち届き包丁始かな   神代 喜代子

 原句は「大魬」だが、「魬」の読みが難しいので、平かなにするか、ルビを付けた方がいい。新年を迎えた港町の魚屋か料理屋だろうか。水揚げされたばかりの見事なはまちが届き、みんなが見守るなか、板前はさっそくさばき始める。いかにも新年らしい光景で、妙味豊かである。

冬の市腰折り見入る赤絵皿   布瀬川 大資

 陶磁器の赤絵といえば、江戸期の九谷焼や柿右衛門が有名。陶器市を覗いたら、立派な赤絵皿があった。見事な色使いに思わず、しゃがんで見る。その様子を「腰折り見入る」と表現する。寒い冬の市で、着ぶくれした体を折り曲げて見る様子が目に浮かび、大変面白い。

軍帽をかむる写真や年の市   辻野 浩子

 一年の終りに開かれる年の市。雑貨が並ぶ中に、古びた写真があり、階級の紀章の付いた軍帽をかむった軍人が写っている。出征する前の青年かもしれない。無事に生きて還っただろうか。「軍帽をかむる」の丁寧な表現がいい。

初霜や妓楼のあとの遊園地   宮地 定美

 遊園地で子どもたちが無邪気に駆け回る。そこは昔、遊郭があり、遊女たちの嬌声も響いた場所だった。今は当時の面影もなく、今年初の霜が白く降りている。歴史の流れを描き、秀逸な作である。

片脚は奥能登へ消え冬の虹   福江 真里子

 日本海に面し、水際が能登半島に向かって弓なりになる辺りの光景だろうか。大きな冬の虹がかかり、硬しは遠く能登方面で消えている。虹の大景を捉えた優品といえる。

震度七バケツの海鼠動かざる   大槻 敏子

 震度七なら激震だろうか。じっと立っておれない位に揺れる。しかし、バケツに入れた海鼠(なまこ)は素知らぬ感じで全く動かない。諧謔味たっぷりの面白い作品である。

網手繰る太き指より寒の水    本木 紀彰
社会鍋喜捨に喇叭の音高し    小林  秀
むささびの座布団めきて森へ消ゆ 曽根 和子
初吟行京都駅にて始まれり    大前 美智子
トーストの香り漂ひ日脚伸ぶ   芝山 康夫
灸を据ゑ歯を食ひしばる寒椿   小川 時寛
人日や白粥に置くミントの葉   加藤 和子
年の暮床屋に眠る教師かな    神山 貴代
かいつぶり一気に潜る舟の影   谷口 千惠子
霊山の木の間に見ゆる冬の滝   保光 由美子

2月号

掘り炬燵大きな足の加はれり   西村 知佳子(巻頭)

 家族で掘炬燵で団欒中、遅れて入って来た父親か夫、育ち盛りの子どもだろうか、大きな足が自分の足に触れる。思わず「大きな足……」と声を上げ、みんなの笑いを誘う。「大きな足の加はれり」の表現は俳諧味もあり、大変いい。

橡の実を袋詰めして浜の市   福江 真里子

 港付近の市場に、袋詰めした橡の実を売っていた。一般に山村で採集される橡の実が浜の市場で見かけるという意外性が面白い。具体的に「袋詰め」と詠み、素朴な橡餅まで想像させ、味わい深い。

鈍色の奈良の堂塔初しぐれ   松本 義實

 古都奈良の寺の建物は時代をへて色も黒ずみ、くすんでいる。急に冷え込んだと思うと、初時雨が走り、堂塔も鈍色を深める。奈良らしい風景を鮮やかに描き、味わい深い。

引金を引けば谺す冬の山   宮地 定美

 猪猟だろうか。猟銃の引金を引けば、轟音が冬山にごうごうと谺を返すのだ。臨場感のある異色作である。「引金を引けば」の猟銃を省略した表現もいい。〈捨墓の一群ありて猟の道〉も異色作である。

報恩講香煙に噎せかしこまる   藤田 惠子

 報恩講は、浄土真宗の宗祖親鸞の忌日に京都の東、西両本願寺で営まれる法要。もうもうと煙る本堂の香煙に噎せながら参拝を続ける。「かしこまる」の表現が大変いい。

古伊万里を膝つき値切る冬の市   布瀬川 大資

 柿右衛門などの赤絵で有名な古伊万里が骨董市に出ていた。しかし、高値で手が出ない。膝をついて負けて欲しいと懇願する。「膝つき値切る」姿に相手も根負けしたに違いない。実感もあり面白い。

障子貼り欄間の鷹の目の光る   栗野 延之

 お正月を前に障子を張り替えているが、顔を上げるたびに欄間んい彫られた鷹と目が合う。ぴかりと光る鷹の目には敵わない。障子貼りにも気が抜けない。

短日や飛石伝ひ庭師来る   藤井 薫

 冬を迎えると日暮れも早い。庭師ものんびり出来ず、庭の脇から飛石を跳びながらやってきた。季語の「短日」を巧みに生かし、「飛石伝ひ」と、具体的に表現した点が大変いい。

時雨るるや門灯点る天文台   本木 紀彰

 冬の初めは時雨模様の日が多く、日が暮れるのも早い。大望遠鏡を備えた天文台には、早々と門灯がぽつんと点る。宇宙の神秘を探る天文台に、抒情的な雰囲気の夕時雨が似合う。

背伸びして柚子捥ぐ夫の手の長き   髙橋 恵美子

 柚子の木には棘があり、特に、高枝の柚子を捥ぐのは大変。しかし、夫は背伸びをし、柚子を難なく採る。いつも見慣れている夫だが、手が長いのも知り、のびやかで健康な夫の姿がうれしい。

暮るるまで米寿の兄の松手入れ   鳴髙 俊子

 米寿を迎えた兄に、庭の松手入れを頼んだら、日が暮れるまで枝を打っている。幼いころから自分を可愛がってくれた兄が米寿を迎えても健康で、このまま松のように長生きして欲しいと願う。

断崖や小雨に揺るる石蕗の花   三宅 幸枝

 切り立った崖に咲く石蕗の花が、小雨に揺れている。断崖に雨に濡れながら揺れる花のけなげさに、作者も感動したに違いない。

走り根に在す石仏石蕗の花   長谷川 陽子

 石仏は大木の根が走る辺りに祀られ、周辺には石蕗の花。鬱蒼と木が茂り、石蕗の花明りに石仏がぼんやり浮かび上がるよう。

琵琶の花勝手口より匂ひ来る   藤本 貴子
鱏の鰭あれば一献温め酒     真部 宣則
浮き桟橋日がな一日冬の波    平岡 貴美子
塩焼の子もち鰰ひれの反り    吉仲 二江
渡り鳥被災の屋根を見てをれば  曽根 和子
冬ざれや古傷いたむ足や腰    西川 節子
鍵かけて出かけるところ枇杷匂ふ 中岡 ながれ
日記買ふ二人暮らしの些事ばかり 竹内 悦子
葱畑抜けて矢切の渡舟かな    古岡 壽美恵
秋深し和紙に滲ます赤絵具    市川 好子

 

1月号

山間に光るみづうみ鳥渡る   多久和 多惠子(巻頭)

 山々の間に小さな湖が光っている。大空を北から渡ってきた鴨などが、さらに大きな湖を目指すのか、羽を連ねて飛んでゆく。大景を鮮やかにとらえ、味わい深い。

ながれきて簗にかかりぬ烏瓜  太田 のぶ子

 川の水をせき、産卵のために下ってくる鮎を捕える簗だろうか。その簗に赤いものが掛かっている。見れば烏瓜だ。水辺に下がっていたのが風に落ち、流れてきたに違いない。簗に掛る烏瓜に焦点を当てて詠み、鮮やかな秀句に仕立てている。

炊き上げて薔薇色の湯気今年米   小川 時寛

 新米が焚き上がり、釜から湯気が立ち上る。朝の日を浴びて、湯気は薔薇色である。苦労して収穫した今年米に薔薇色の湯気がふさわしい。詩情もあって大変いい。

鮭釣の糸ぐいぐいと海の中   志賀 理子

 広い河口付近で産卵のために故郷に回帰してきた鮭を釣っている。突然、釣糸が海中に引き込まれ、急いでリールを巻く。「ぐいぐいと」に臨場感があり、大きく成長した鮭を想像させる。作者は札幌在住。同人だった故・小室登美子さんの次女。

山茶花へ海風強き日暮かな   安本 時子

 山茶花は寒さにめげずに咲く。夕暮れどき、山茶花が強い海風に吹かれている光景を無駄のない言葉でずばりと表現した。安本さんは百一歳のご高齢だが、この句のようにお元気そうで、大変喜ばしい。

晩秋や子の影もなき滑り台   布瀬川 大資

 秋も終わりごろ。公園の滑り台には子どもの姿も見られず、ひっそりとしている。具体的に「子の影」と表現し、寂しい晩秋の景を鮮やかに描いている。

上賀茂に豆売る丹波訛かな   福江 真里子

京都市北部の上賀茂神社辺りで豆を売っていた女の人は、素朴な丹波訛だった。京都といえば、婉曲で柔らかい話し方と思っていたのに、意外な話しぶりに作者は親近感を覚えたに違いない。

せんべいへ寄る鹿の目に子の写り   竹内 悦子

 奈良公園には、鹿のために煎餅を売る業者が多い。親に買ってもらったせんべいを幼い子持っていたところ、鹿が寄ってきた。その丸い目に写った子どもの姿を詠む。視点がユニークである。

脱ぎ置きし防寒着から猫の顔   太田 徳子

 厚手の野良着だろうか、脱ぎ捨てた服を見れば、猫が顔を出している。寒がりの猫にすれば、格好の居場所と思われるが、何ともおかしい、楽しい作品である。

コスモスに沈みてゐたり屋敷神   谷口 千惠子

 庭にコスモスが咲き乱れ、祖先をまつる屋敷神の祠が隠れている。コスモスが風に吹かれるたびに小さな屋根が見える。「沈んでいる」という表現で、コスモスの群生を想像させ、味わい深い。

姿よき浮雲一つ松手入   松本 義實

 「姿よき浮雲」は、ふんわりした繭のような形の浮雲かもしれぬ。その雲の下で庭師がパチリパチリを松の枝を打っている。昔から変わらぬのどかな日本の風景を思わせ、妙味豊かである。

桜落葉散る日曜の幼稚園  大前 美智子

 色鮮やかな桜落葉が幼稚園の庭に散っている。日ごろはうるさい位の園児たちの声もしない日曜日。聞こえるのは落葉の音だけ。「日曜の幼稚園」と具体的に詠んだところが大変いい。

秋耕へ準備体操老いの夫   川西 蓉子

 穏やかな秋日和で、夫は畑の手入れに出かけようとしているのか、玄関の前で準備体操をしている。年老いた夫だが「これから、がんばるぞ」と手足を屈伸しているところがなんともおかしい。

鯔とんで川面に闇の深まれり    荒巻 久枝
犬小屋の三角屋根やあきつ飛ぶ   遠山 美咲枝
金婚の妻を労ふ文化の日      橋本 信義
こぼれ萩鯉の水面を覆ひけり    長谷川 陽子
秋茄子嫁と二人の夕餉かな     神代 喜代子
棕櫚の毛のかつらを被る案山子かな 岩﨑 利晴
秋深し野に光るもの翳るもの    山本 義之
芋煮会火を熾す乳見つむる子    曽根 和子

 


平成31年・令和元年(2019)

田島 和生 「雉」主宰


12月号

台風に鷗流されゐたりけり   大槻 敏子(巻頭)

 今年も台風による被害が大きく、中には散会も襲われたところもあった。台風の力には動植物も敵わない。海面にいつも敏捷に飛んでいる鷗が強風にあおられ、流されている。その光景をずばり詠み上げたのが掲句である。無駄な言葉を使わず、鷗の姿に焦点を当てて「流されゐたりけり」と簡明に表現した点が大変いい。

霧晴れて白装束の行脚かな   山本 義之

 「白装束の行脚」から想像して、秋のお遍路だろう。山合いに立ち込める濃霧は日が昇るにつれて薄れ、やがて、すっかり晴れ渡る。白装束のお遍路の向こうに目指す寺の屋根が浮かぶ。「霧晴れて白装束の……」と畳み込むように表現し、「行脚かな」と柔らかく切字で結び、妙味豊かである。

御下がりの無花果のほの甘きかな   小林 秀
 
 神棚か仏壇に供えていた「御下がりの無花果」をいただく。採ってまだ日もたっていない無花果はみずみずしく、程よい甘さである。「御下がり」の言葉から、日ごろから神仏を敬う気持ちも感じられ、気持ちがいい作品である。

土塊の尖りしままに猪の道   本木 紀彰

 雑草に覆われた山陰は一日中、ひんやりとし、猪の通い路になっている。猪が通ってまもない足跡には土塊(つちくれ)がするどく尖り、精悍な姿を思わせる。足跡を凝視し、土塊の面白い造形を発見した異色作で、高く評価したい。

水澄むや水恐ろしとふと思ふ   市川 好子

 作者の住む長野県では今年、千曲川が氾濫し大きな被害が出た。いつもは穏やかな流れで、秋はとりわけ清らかだが、豪雨ともなれば牙をむく。そう思うと、水は恐ろしいと、ふと思う―。水への気持ちを素直に詠み、読み手も納得できる。

穭田へ撒きたる藁の匂かな   佐古 千壽子

 稲を刈ったあとの田には青い穭が生え、一見初夏の光景になる。肥料にするため、今年藁を刻んで田に撒けば、甘い匂いが漂う。「藁の匂」に実感があり、大変味わい深い。

栃の実を拾ふ駱駝の折の前   多久和 多惠子

 動物園の駱駝の檻の付近には、空を覆うばかりに栃の木がそびえる。秋、杤の木は卵型の実を落とす。檻の中の駱駝を見ながら実を拾う。栃の実と駱駝とは特に関係はないが、栃の実を拾う作者を駱駝が眺めているようで楽しい。そういえば、山里などで作る栃餅の味は素朴で大変おいしい。

水郷の舟の先ゆく赤とんぼ   青木 陽子

 琵琶湖の水郷、近江八幡での嘱目吟だろうか。水郷巡りの屋形舟が出ている。船頭がゆっくり漕ぐ舟の前を赤とんぼが飛ぶ。草に止まったと思ったら、舟が近づくたびに前へ飛ぶ。「舟の先ゆく」と案内人みたいに詠み、傑作である。

秋澄むや嬰の髪膚にミルクの香   吉田 孟

 赤ちゃんを抱くと、ミルクの甘い匂いがした。秋日和で空気も澄んだ日は、特に髪膚(はっぷ)、つまり体全体からいい匂いがする。明るくて、気持ちのいい作品である。

塔の上にとどまる如し盆の月   赤井 榮子

 先祖の霊を迎え、供養をするお盆の夜、五重塔の上に丸い月が浮かぶ。いつ見ても塔の空にあるようにも見える。明るい月を仰ぎながら、亡き人たちを思う。「とどまる如し」には、「とどまって欲しい」という思いもあり、心を打つ作品である。

坪庭の日向へひらり秋の蝶   阪本 節子

 通りに面した京都の狭い町家の中に、小さな坪庭を持つ建物も見られる。秋空を飛ぶ蝶々が日の当たる坪庭を見つけてひらりと舞い降りる。「坪庭の日向」の「日向」の発見が佳句に仕立てた。蝶々の姿も目に浮かぶ。

脱ぎ捨てし地下足袋に鳴く昼の虫   神代 喜代子

 戸外で働く夫か誰かが、昼飯に家に戻る。玄関に脱ぎ捨てられた地下足袋を揃えようとしたら、こおろぎだろうか、ルルルと鳴いている。動きのある一句一章表現で判り易く、「昼の虫」の季語も効き、秀逸である。

新藁の端まで納豆詰まりをり   西村 知佳子

 藁に包んだ納豆でも俳句の材料になるというお手本のような句。納豆の藁は稲を刈り取ってまもない新藁で幾らか青く、みずみずしい。その端まで納豆が詰まっている。新藁と端まで納豆が詰まっているところを見つけ、佳句となった。


立食ひのカレー掻き込む夜学生    岩﨑 利晴
帰る子に切つて持たせり秋桜     林  絹子
明け方の空赤々と厄日かな      中島 麻美
そぞろ寒石山白くそそり立つ     黒川 愛子
かだつかふ錆びしポンプや竹の春   中岡ながれ
爽やかや激闘終へてノーサイド    市村 英樹
逆さ吊り曲がつて乾き唐辛子     三宅 幸枝
望の月うす雲纏ひ上がりけり     田浦 朝子
畦道の崩れしところ秋蛙       吉田 孝子
秋風に裏を見せたる牛の舌      細野 健二

 

11月号

夏の蝶郵便受に翅合はす   池田 善枝(巻頭)

 日の中を飛び回っていた夏蝶が、玄関先の郵便受に翅を閉じて休んでいる。まるでちょうちょうが絵葉書のように届いたみたいで、童心を思わせ、なかなか面白い。〈百日紅見上げて夫と長電話〉も楽しい作品。

日の落ちてゆく玫瑰の向かうかな   太田 のぶ子
 
 「玫瑰」の句では、中村草田男の〈玫瑰や今も沖には未来あり〉が有名。掲句は、紅色の玫瑰が咲き、その向こうの沖に沈む夕日を詠む。「日の落ちてゆく」で軽く切れ、「玫瑰の向かうかな」と結び、秀逸である。

新聞に鶏頭包み登校児   堀田 智恵美

 鶏頭は鶏頭花のこと。先生の教団にでも飾るのだろうか。登校児が、古新聞に四、五本の鶏頭花を包んで提げて行く。赤い花が新聞から覗き、健康そうな児童の姿も想像でき、妙味に溢れている。

初物のゴーヤ掻き揚げ大皿に   太田 徳子

 畑から採ってきた初物のゴーヤ(苦瓜)を細かく刻み、ほかの野菜などと掻き揚げにし、大皿に盛りつける。いかにもおいしそうで、健康な日常生活を思わせる。「大皿に」が生き、佳句になった。

法要の読経高まり一葉落つ   阪本 節子

 お堂で何人かの僧が法要を営む。読経の声が高くなり、庭の桐がはらりと葉を落とす。「一葉落つ」(桐一葉)は秋の気配を感じさせるたとえで、読経の高まりのなかの一葉を捉え、秀逸である。

爪立ちて捥ぐ無花果や日の匂ひ   大槻 敏子

 無花果の木の少し高い所に熟した実が見える。爪立ちをして捥ぎ取ると、温かい日の匂いがする。「無花果や」で切ったため、下五の「日の匂ひ」が強調され、実感があって大変いい。

居酒屋の暖簾ひらめく夜の秋   松本 義實

 「夜の秋」は、夏の夜更けの涼しさに秋の気配を感じる季語である。居酒屋の前を通れば、暖簾が風にひらひら揺れている。こんな日はビールもおいしい。作者は居酒屋に入ったのだろうか。

点滴の夫の丸窓小鳥来る   加藤 五十鈴

 病院で体を壊した夫が点滴を受ける。夫は寝ながら、丸窓から渡って来た小鳥を眺める。「夫の丸窓」はやや省略し過ぎの感もあるが、意味もよく判り、味わい深い。

八月六日父の部屋より空仰ぐ   市川 好子

 「八月六日」は広島の原爆忌。父が使っていた部屋の窓から空を仰ぎ、原爆による傷ましい日のことを思う。「父の部屋より」は何気ない表現だが、父親も広島忌にはいつも祈っていたに違いない。

竈馬古き湯殿の片隅に   小林 秀

 竈馬(かまどうま)は蟋蟀(こおろぎ)に少し似ているが、背が丸く、翅も無くて鳴かない。昔から竈を据えたような湿気があり、薄暗い場所を好むが、古い湯殿の片隅に、長い触角を動かしながら棲んでいた。「古き湯殿」は山の秘湯かもしれず、どこか懐かしい風景である。

台風の近づく潮の匂ひかな   加藤 和子

 台風が上陸する港町。台風による荒波が岸壁に打ち寄せ、町中には潮の匂いが立ち込める。台風到来の予感を「台風の近づく匂ひ」と一気に詠み下し、「かな」で結ぶ。一物仕立ての佳句である。

薄暗き子規堂に来て拭ふ汗  山田 流水

 松山の子規堂だろうか。ようやくたどり着き、薄暗い部屋を覗きながら旅の汗を拭う。飾り気のない表現で実感もあり、妙味豊かである。

ばら園のかそけき匂ひ風に乗り   高野 裕治
狗尾草道の瓦礫に根を張りて    辻井 康子
ふるさとや木小屋の裏に萩の花   谷口 千惠子
生身魂今朝もバーベル揚げてはる  吉田 孟
草抜く手止めて黙禱広島忌     川西 蓉子
糸蜻蛉水の色して水に消ゆ     荒巻 久江
西日背に坂登りゆく下校の子    大前 美智子
動かざる水車のひびや虫時雨    中嶋 洋子
音ばかり花火の夜の一人酒     木村 あき子
新涼や路地に子供の声戻り     神山 貴代


10月号

しろがねの水響き落つ木下闇   中岡 ながれ(巻頭)

 冷ややかに輝く銀の滝の水が響きながら、真夏の暗い木陰に落ちてゆく。眩しい「しろがねの水」は一転して視界から消え、暗闇にごうごうと音だけ残す。季語の「木下闇」を巧みに使い、陽から陰に一変する滝の光景を丁寧に詠み上げ、味わい深い。

豊洲市場炎暑に唸る杭打機   市村 英樹

 東京都民の胃袋を満たすマンモス市場。築地から移転したばかりの豊洲市場ではまだ工事が残っている。炎天下の作業風景を「炎暑に唸る杭打機」とずばり詠む。八月の関東吟行での嘱目吟だが、表現に過不足がなく、秀逸である。

窓ぎはへ術後のベッド庭花火   溝西 澄恵

 大病で手術し、体調を少し取り戻したころだろうか。子どもが庭で手花火をするのを見るため、ベッドを窓ぎわに移す。ガラス越しに花火に照らされた子どもの笑顔が見える。優れた短編小説のような味わいがあって大変いい。

振り向けば牧の牛鳴く晩夏かな   髙橋 恵美子

 牧場に放たれた牛を柵越しに眺め、時々草も与える。帰るとき、少し歩いてから振り向くと、牛が大きな声で鳴く。まるで、呼び止めようとするかのようである。いかにも穏やかな風景で、「晩夏かな」には感動の思いも込められている。

青色というもさまざま七変化   福江 真里子

 紫陽花は七変化とも言われるように、色が変わる。一般に青色と言っても良く見れば「さまざまの青がある」と素直に自分の思いを詠んだところがいい。

金亀虫重なり合つて樹液吸ふ   岩﨑 利晴

 金亀虫(こがねむし)は子どもにとってはなじむ深い。夏休みは捕虫網を持って山林に入れば、木の幹にすがり、何匹かが樹液を吸っている。まさに、句のように「重なり合つて樹液吸ふ」である。「重なり合つ(原句「ふ」て)と丁寧に描写した点がいい。

砂山に紅きサンダル夏惜しむ   須藤 範子

 砂山は海辺だろうか。海鳴りが響く砂山で、女の子が紅いサンダルを脱ぎ捨て、砂で何かをこしらえている。こんな健やかな姿をいつまでもという思いもにじむ。健康色とでも言えそうなサンダルの紅に焦点を当てて詠み、「夏惜しむ」の季語もぴったりである。

故郷の道を横切る毛虫かな   前田 かよ子

 故郷の道を歩いていたら、むくむく太った毛虫が横切っていた。踏まないよう、あわてて立ち止まり、道を横切るのを待つ。故郷との出会いはまず毛虫というのもおかしい。「故郷の」と大きく詠み出し、小さな毛虫で結ぶのも面白い。楽しい作品である。

峰雲や路面電車のきしむ音   細野 健二

 炎天下を走る路面電車のきしむ音は神経を刺すみたいだが、上五に「峰雲や」と置いたため、逆に爽快感を覚えさせる。町の背後に立ち上がる大きな入道雲。その前を路面電車がきしみながら走るのは、町全体を生き生きさせるようである。季語の使い方次第で、俳句は生きてくる。

蕎麦すする喉の奥まで夏大根   堀田 智恵美
 少し辛い下ろし大根をかけた下ろし蕎麦は実にうまい。夏場の清凉剤にもなるが、傍をすすったあとも、夏大根の辛味が喉の奥に残っている。どこか傑作で面白い。

汗拭ふ袖に染みたる草の色   太田 徳子

 草刈りで大汗をかき、手拭いで顔や首筋を拭く。ふと見れば作業着の袖が草の汁で青くなっていた。真夏の厳しい労働を思わせ、実感があって大変いい。「拭ふ」の原句は「払ふ」。

梅雨晴のアルプス望み朝湯かな   宮崎 和子

 一読、意味もよく判り、幸せそうな雰囲気に読む人を楽しませてくれる。「梅雨晴」「アルプス」「朝湯」の三つの言葉を組み合わせ、最後は詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。「晴れたアルプスを眺めながら入る朝湯はかくべつだなあ」と。実にうらやましい人である。

道塞ぐ蛇に踵を返しけり      曽根 和子
だるき足枕にのせて半夏生     木村 あき子
揺り椅子に夫の遺愛の夏帽子    林 絹子
くちなしの初花かをる雨上り    秋元 綾子
をちこちの睡蓮ゆらす鯉の口    谷口 千惠子
軒下に目高泳がせ大火鉢      赤井 榮子
とうすみの影をうつすら爆心地   平岡 貴美子
火取虫腹見せ止まる厨窓      藤井 淳子
病臥せる母の目線に金魚鉢     青木 千春
あさなさな空の近づく立葵     内海 英子


9月号

楼門の仁王の目玉緑さす   市川 好子(巻頭)

 大寺の正面には二階建て(二層)の壮大な楼門が建ち、左右二体の仁王がぎょろりと目を剝く。目玉には周りの木々の緑が映り、木々に包まれた大きな伽藍も想像される。無駄のない表現で、「仁王の目玉」に焦点を当てて詠み、大変いい。

富士三日晴れて植ゑたる茄子の苗   志知 久三子

 晴の日が珍しく三日続き、富士山も裾野まではっきり見える。用意していた二、三十センチの茄子苗を畑に移植する。苗は富士を目の前に生長し、紫色の花をつけ、実を結ぶに違いない。「富士三日晴れて」の詠み下しが大変鮮やかである。

金魚田の暗き水面に色動く   松本 義實

 金魚を育てる金魚田は、梅雨どきともなれば水面も暗い。でも、よく見れば水面下に金魚の泳ぐ様子も見える。その光景を「色動く」とズバリと表現した点が秀逸である。

涼風のひとたびとほる机かな   中岡 ながれ
 
 蒸し暑い日、書斎の窓を開けて本を読んでいたら、涼しいかぜが入ってきた。しかし、風は一度切りである。「ひとたびとほる」とさらりと表現し、感性がある。下五は「机かな」と結び、読み手に机上の様子も任せ、余情を感じさせる。

蔵のかげ蕺草の花広がりぬ   三宅 幸枝

 蕺草(どくだみ)は日陰を好み、六月ごろに白い十字の花を咲かせる。白い根は地中深くまではびこり、臭気も強い。土蔵の陰に、蕺草がいっぱい咲いている風景を「広がりぬ」と詠む。まるで、花盛りの蕺草を讃えているようである。原句は、「広がりて」だが、「広がりぬ」の強い表現がいい。

玉子焼匂ふ厨房梅雨湿り   梅本 重一

 台所に玉子焼の甘い匂いが漂う。梅雨どきで空気も湿っぽく、匂いはいつまでも消えない。「梅雨湿り」で、甘い匂いが台所に長く籠る様子も判り、季語の斡旋が大変いい。

青空の広がるプール開きかな   田久和 多惠子

 難しい言葉を使わず、爽やかな青空の下で始まるプール開きの光景をずばりと表現。「青空の広がる」と「プール開き」を併せ、「かな」で結んで感動の思いを鮮やかに描いた。

じやがたらの花の畑に父祖の墓   溝西 澄恵

 先祖代々の墓は畑の中にあり、「じやがたら」(じゃがいも)の花に包まれている。「じやがたら」の原語はインドネシアのジャカルタの古名。江戸時代以降、ジャワ島の意味で、島の産物の「じゃがいも」も「じゃがたらいも」と言ったそうな。歴史のある「じやがたらの花」は遠い祖先の墓にふさわしい。

青梅のぶつかりあつて洗はるる   稲葉 恭枝

 梅干しいする青梅がぶつかり合いながら洗われている。青梅を主語にして詠み、自ら「ぶつかり合う」と梅にも意思があるみたいでなかなか面白い。妙味に溢れている。

青嵐木々の雫を落としゆく   内海 英子

 青葉のころに吹く強い青嵐が、木々に残った雨雫を落とす。「落しゆく」と強調し、青嵐の壮大な動きを表現し、味わい深い。「青嵐(あおあらし)」を「青嵐(せいらん)」と使うのはよくない。

葉裏より触角のぞく髪切虫   池田 善枝
 
 髪切虫は天牛とも書き、立派な顎を持ち、細くて長い糸のような触角が特徴である。昆虫採集の子どもにとっては、甲虫同様に人気がある。掲句から、子どもが長い触角を葉裏から覗かせる髪切虫を見つけ、どきどきしながら手を伸ばす風景も想像でき、楽しい作である。

父の忌の青山椒を噛みしむる   熊谷 キヨエ

 熱する前の青山椒の実。「山椒は小粒でもピリリと辛い」の格言もあるように、小粒でも噛んで見れば確かに辛い。父の忌日に青山椒を噛みしめながら、ありし日の厳しさ、潔癖さ、さらに心の奥の温かい愛情を思い出す。

大社へと細き禰宜道木下闇   大谷 とし子
 作者は奈良在住なので、大社は春日大社と思われる。大社の裏の森には、神官ら禰宜が通う道がある。夏の茂った木々に覆われ、闇のように暗い。「木下闇」の季語を使い、禰宜道の風景を鮮やかに描いた。ねじ花を詠んだ〈文字擦草踏まぬやうにと足もつれ〉も植物の特徴をよく捉え、面白い。

竹夫人燃えるごみの日出されをり  吉田 孟
駅までの一本道や青田風      熊川 多恵子
蓮の花浄土の如き村の池      山田 流水
香水を箪笥に仕舞ふ朝の妻     細野 健二
源蔵てふ居酒屋の名や鱧の皮    山岡 ひろみ
銅剣の出土せし山緑濃き      遠山 美咲枝
七夕竹担ぎて朝の小学校      鈴木 親典
海風や段々畑の枇杷熟るる     福島 教子
梅雨寒や馬の顔似の壁の染み    鷹峰 正龍
夕凪やカレーの匂ふ金曜日     橋本 信義