紅頬集 秀句・佳句

俳誌「雉」では、俳句の仲間になってくださる方を募集しています。来年1月から12月まで、会費12,000円でお申込いただけます。会員の方は、こちらの紅頬集へご投句いただけます。毎月10日必着、7句をお送りください。翌々月の「雉」誌に掲載いたします。
私たちと共に俳句を楽しみませんか。お申込・お問合せをお待ちしています!
※サンプル誌は500円です。是非、ご利用くださいませ。



平成31年・令和元年(2019)

田島 和生 「雉」主宰


12月号

台風に鷗流されゐたりけり   大槻 敏子

 今年も台風による被害が大きく、中には散会も襲われたところもあった。台風の力には動植物も敵わない。海面にいつも敏捷に飛んでいる鷗が強風にあおられ、流されている。その光景をずばり詠み上げたのが掲句である。無駄な言葉を使わず、鷗の姿に焦点を当てて「流されゐたりけり」と簡明に表現した点が大変いい。

霧晴れて白装束の行脚かな   山本 義之

 「白装束の行脚」から想像して、秋のお遍路だろう。山合いに立ち込める濃霧は日が昇るにつれて薄れ、やがて、すっかり晴れ渡る。白装束のお遍路の向こうに目指す寺の屋根が浮かぶ。「霧晴れて白装束の……」と畳み込むように表現し、「行脚かな」と柔らかく切字で結び、妙味豊かである。

御下がりの無花果のほの甘きかな   小林 秀
 
 神棚か仏壇に供えていた「御下がりの無花果」をいただく。採ってまだ日もたっていない無花果はみずみずしく、程よい甘さである。「御下がり」の言葉から、日ごろから神仏を敬う気持ちも感じられ、気持ちがいい作品である。

土塊の尖りしままに猪の道   本木 紀彰

 雑草に覆われた山陰は一日中、ひんやりとし、猪の通い路になっている。猪が通ってまもない足跡には土塊(つちくれ)がするどく尖り、精悍な姿を思わせる。足跡を凝視し、土塊の面白い造形を発見した異色作で、高く評価したい。

水澄むや水恐ろしとふと思ふ   市川 好子

 作者の住む長野県では今年、千曲川が氾濫し大きな被害が出た。いつもは穏やかな流れで、秋はとりわけ清らかだが、豪雨ともなれば牙をむく。そう思うと、水は恐ろしいと、ふと思う―。水への気持ちを素直に詠み、読み手も納得できる。

穭田へ撒きたる藁の匂かな   佐古 千壽子

 稲を刈ったあとの田には青い穭が生え、一見初夏の光景になる。肥料にするため、今年藁を刻んで田に撒けば、甘い匂いが漂う。「藁の匂」に実感があり、大変味わい深い。

栃の実を拾ふ駱駝の折の前   多久和 多惠子

 動物園の駱駝の檻の付近には、空を覆うばかりに栃の木がそびえる。秋、杤の木は卵型の実を落とす。檻の中の駱駝を見ながら実を拾う。栃の実と駱駝とは特に関係はないが、栃の実を拾う作者を駱駝が眺めているようで楽しい。そういえば、山里などで作る栃餅の味は素朴で大変おいしい。

水郷の舟の先ゆく赤とんぼ   青木 陽子

 琵琶湖の水郷、近江八幡での嘱目吟だろうか。水郷巡りの屋形舟が出ている。船頭がゆっくり漕ぐ舟の前を赤とんぼが飛ぶ。草に止まったと思ったら、舟が近づくたびに前へ飛ぶ。「舟の先ゆく」と案内人みたいに詠み、傑作である。

秋澄むや嬰の髪膚にミルクの香   吉田 孟

 赤ちゃんを抱くと、ミルクの甘い匂いがした。秋日和で空気も澄んだ日は、特に髪膚(はっぷ)、つまり体全体からいい匂いがする。明るくて、気持ちのいい作品である。

塔の上にとどまる如し盆の月   赤井 榮子

 先祖の霊を迎え、供養をするお盆の夜、五重塔の上に丸い月が浮かぶ。いつ見ても塔の空にあるようにも見える。明るい月を仰ぎながら、亡き人たちを思う。「とどまる如し」には、「とどまって欲しい」という思いもあり、心を打つ作品である。

坪庭の日向へひらり秋の蝶   阪本 節子

 通りに面した京都の狭い町家の中に、小さな坪庭を持つ建物も見られる。秋空を飛ぶ蝶々が日の当たる坪庭を見つけてひらりと舞い降りる。「坪庭の日向」の「日向」の発見が佳句に仕立てた。蝶々の姿も目に浮かぶ。

脱ぎ捨てし地下足袋に鳴く昼の虫   神代 喜代子

 戸外で働く夫か誰かが、昼飯に家に戻る。玄関に脱ぎ捨てられた地下足袋を揃えようとしたら、こおろぎだろうか、ルルルと鳴いている。動きのある一句一章表現で判り易く、「昼の虫」の季語も効き、秀逸である。

新藁の端まで納豆詰まりをり   西村 知佳子

 藁に包んだ納豆でも俳句の材料になるというお手本のような句。納豆の藁は稲を刈り取ってまもない新藁で幾らか青く、みずみずしい。その端まで納豆が詰まっている。新藁と端まで納豆が詰まっているところを見つけ、佳句となった。


立食ひのカレー掻き込む夜学生    岩﨑 利晴
帰る子に切つて持たせり秋桜     林  絹子
明け方の空赤々と厄日かな      中島 麻美
そぞろ寒石山白くそそり立つ     黒川 愛子
かだつかふ錆びしポンプや竹の春   中島ながれ
爽やかや激闘終へてノーサイド    市村 英樹
逆さ吊り曲がつて乾き唐辛子     三宅 幸枝
望の月うす雲纏ひ上がりけり     田浦 朝子
畦道の崩れしところ秋蛙       吉田 孝子
秋風に裏を見せたる牛の舌      細野 健二

 

11月号

夏の蝶郵便受に翅合はす   池田 善枝(巻頭作家)

 日の中を飛び回っていた夏蝶が、玄関先の郵便受に翅を閉じて休んでいる。まるでちょうちょうが絵葉書のように届いたみたいで、童心を思わせ、なかなか面白い。〈百日紅見上げて夫と長電話〉も楽しい作品。

日の落ちてゆく玫瑰の向かうかな   太田 のぶ子
 
 「玫瑰」の句では、中村草田男の〈玫瑰や今も沖には未来あり〉が有名。掲句は、紅色の玫瑰が咲き、その向こうの沖に沈む夕日を詠む。「日の落ちてゆく」で軽く切れ、「玫瑰の向かうかな」と結び、秀逸である。

新聞に鶏頭包み登校児   堀田 智恵美

 鶏頭は鶏頭花のこと。先生の教団にでも飾るのだろうか。登校児が、古新聞に四、五本の鶏頭花を包んで提げて行く。赤い花が新聞から覗き、健康そうな児童の姿も想像でき、妙味に溢れている。

初物のゴーヤ掻き揚げ大皿に   太田 徳子

 畑から採ってきた初物のゴーヤ(苦瓜)を細かく刻み、ほかの野菜などと掻き揚げにし、大皿に盛りつける。いかにもおいしそうで、健康な日常生活を思わせる。「大皿に」が生き、佳句になった。

法要の読経高まり一葉落つ   阪本 節子

 お堂で何人かの僧が法要を営む。読経の声が高くなり、庭の桐がはらりと葉を落とす。「一葉落つ」(桐一葉)は秋の気配を感じさせるたとえで、読経の高まりのなかの一葉を捉え、秀逸である。

爪立ちて捥ぐ無花果や日の匂ひ   大槻 敏子

 無花果の木の少し高い所に熟した実が見える。爪立ちをして捥ぎ取ると、温かい日の匂いがする。「無花果や」で切ったため、下五の「日の匂ひ」が強調され、実感があって大変いい。

居酒屋の暖簾ひらめく夜の秋   松本 義實

 「夜の秋」は、夏の夜更けの涼しさに秋の気配を感じる季語である。居酒屋の前を通れば、暖簾が風にひらひら揺れている。こんな日はビールもおいしい。作者は居酒屋に入ったのだろうか。

点滴の夫の丸窓小鳥来る   加藤 五十鈴

 病院で体を壊した夫が点滴を受ける。夫は寝ながら、丸窓から渡って来た小鳥を眺める。「夫の丸窓」はやや省略し過ぎの感もあるが、意味もよく判り、味わい深い。

八月六日父の部屋より空仰ぐ   市川 好子

 「八月六日」は広島の原爆忌。父が使っていた部屋の窓から空を仰ぎ、原爆による傷ましい日のことを思う。「父の部屋より」は何気ない表現だが、父親も広島忌にはいつも祈っていたに違いない。

竈馬古き湯殿の片隅に   小林 秀

 竈馬(かまどうま)は蟋蟀(こおろぎ)に少し似ているが、背が丸く、翅も無くて鳴かない。昔から竈を据えたような湿気があり、薄暗い場所を好むが、古い湯殿の片隅に、長い触角を動かしながら棲んでいた。「古き湯殿」は山の秘湯かもしれず、どこか懐かしい風景である。

台風の近づく潮の匂ひかな   加藤 和子

 台風が上陸する港町。台風による荒波が岸壁に打ち寄せ、町中には潮の匂いが立ち込める。台風到来の予感を「台風の近づく匂ひ」と一気に詠み下し、「かな」で結ぶ。一物仕立ての佳句である。

薄暗き子規堂に来て拭ふ汗  山田 流水

 松山の子規堂だろうか。ようやくたどり着き、薄暗い部屋を覗きながら旅の汗を拭う。飾り気のない表現で実感もあり、妙味豊かである。

ばら園のかそけき匂ひ風に乗り   高野 裕治
狗尾草道の瓦礫に根を張りて    辻井 康子
ふるさとや木小屋の裏に萩の花   谷口 千惠子
生身魂今朝もバーベル揚げてはる  吉田 孟
草抜く手止めて黙禱広島忌     川西 蓉子
糸蜻蛉水の色して水に消ゆ     荒巻 久江
西日背に坂登りゆく下校の子    大前 美智子
動かざる水車のひびや虫時雨    中嶋 洋子
音ばかり花火の夜の一人酒     木村 あき子
新涼や路地に子供の声戻り     神山 貴代


10月号

しろがねの水響き落つ木下闇   中岡 ながれ(巻頭作家)

 冷ややかに輝く銀の滝の水が響きながら、真夏の暗い木陰に落ちてゆく。眩しい「しろがねの水」は一転して視界から消え、暗闇にごうごうと音だけ残す。季語の「木下闇」を巧みに使い、陽から陰に一変する滝の光景を丁寧に詠み上げ、味わい深い。

豊洲市場炎暑に唸る杭打機   市村 英樹

 東京都民の胃袋を満たすマンモス市場。築地から移転したばかりの豊洲市場ではまだ工事が残っている。炎天下の作業風景を「炎暑に唸る杭打機」とずばり詠む。八月の関東吟行での嘱目吟だが、表現に過不足がなく、秀逸である。

窓ぎはへ術後のベッド庭花火   溝西 澄恵

 大病で手術し、体調を少し取り戻したころだろうか。子どもが庭で手花火をするのを見るため、ベッドを窓ぎわに移す。ガラス越しに花火に照らされた子どもの笑顔が見える。優れた短編小説のような味わいがあって大変いい。

振り向けば牧の牛鳴く晩夏かな   髙橋 恵美子

 牧場に放たれた牛を柵越しに眺め、時々草も与える。帰るとき、少し歩いてから振り向くと、牛が大きな声で鳴く。まるで、呼び止めようとするかのようである。いかにも穏やかな風景で、「晩夏かな」には感動の思いも込められている。

青色というもさまざま七変化   福江 真里子

 紫陽花は七変化とも言われるように、色が変わる。一般に青色と言っても良く見れば「さまざまの青がある」と素直に自分の思いを詠んだところがいい。

金亀虫重なり合つて樹液吸ふ   岩﨑 利晴

 金亀虫(こがねむし)は子どもにとってはなじむ深い。夏休みは捕虫網を持って山林に入れば、木の幹にすがり、何匹かが樹液を吸っている。まさに、句のように「重なり合つて樹液吸ふ」である。「重なり合つ(原句「ふ」て)と丁寧に描写した点がいい。

砂山に紅きサンダル夏惜しむ   須藤 範子

 砂山は海辺だろうか。海鳴りが響く砂山で、女の子が紅いサンダルを脱ぎ捨て、砂で何かをこしらえている。こんな健やかな姿をいつまでもという思いもにじむ。健康色とでも言えそうなサンダルの紅に焦点を当てて詠み、「夏惜しむ」の季語もぴったりである。

故郷の道を横切る毛虫かな   前田 かよ子

 故郷の道を歩いていたら、むくむく太った毛虫が横切っていた。踏まないよう、あわてて立ち止まり、道を横切るのを待つ。故郷との出会いはまず毛虫というのもおかしい。「故郷の」と大きく詠み出し、小さな毛虫で結ぶのも面白い。楽しい作品である。

峰雲や路面電車のきしむ音   細野 健二

 炎天下を走る路面電車のきしむ音は神経を刺すみたいだが、上五に「峰雲や」と置いたため、逆に爽快感を覚えさせる。町の背後に立ち上がる大きな入道雲。その前を路面電車がきしみながら走るのは、町全体を生き生きさせるようである。季語の使い方次第で、俳句は生きてくる。

蕎麦すする喉の奥まで夏大根   堀田 智恵美
 少し辛い下ろし大根をかけた下ろし蕎麦は実にうまい。夏場の清凉剤にもなるが、傍をすすったあとも、夏大根の辛味が喉の奥に残っている。どこか傑作で面白い。

汗拭ふ袖に染みたる草の色   太田 徳子

 草刈りで大汗をかき、手拭いで顔や首筋を拭く。ふと見れば作業着の袖が草の汁で青くなっていた。真夏の厳しい労働を思わせ、実感があって大変いい。「拭ふ」の原句は「払ふ」。

梅雨晴のアルプス望み朝湯かな   宮崎 和子

 一読、意味もよく判り、幸せそうな雰囲気に読む人を楽しませてくれる。「梅雨晴」「アルプス」「朝湯」の三つの言葉を組み合わせ、最後は詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。「晴れたアルプスを眺めながら入る朝湯はかくべつだなあ」と。実にうらやましい人である。

道塞ぐ蛇に踵を返しけり      曽根 和子
だるき足枕にのせて半夏生     木村 あき子
揺り椅子に夫の遺愛の夏帽子    林 絹子
くちなしの初花かをる雨上り    秋元 綾子
をちこちの睡蓮ゆらす鯉の口    谷口 千惠子
軒下に目高泳がせ大火鉢      赤井 榮子
とうすみの影をうつすら爆心地   平岡 貴美子
火取虫腹見せ止まる厨窓      藤井 淳子
病臥せる母の目線に金魚鉢     青木 千春
あさなさな空の近づく立葵     内海 英子


9月号

楼門の仁王の目玉緑さす   市川 好子(巻頭作家)

 大寺の正面には二階建て(二層)の壮大な楼門が建ち、左右二体の仁王がぎょろりと目を剝く。目玉には周りの木々の緑が映り、木々に包まれた大きな伽藍も想像される。無駄のない表現で、「仁王の目玉」に焦点を当てて詠み、大変いい。

富士三日晴れて植ゑたる茄子の苗   志知 久三子

 晴の日が珍しく三日続き、富士山も裾野まではっきり見える。用意していた二、三十センチの茄子苗を畑に移植する。苗は富士を目の前に生長し、紫色の花をつけ、実を結ぶに違いない。「富士三日晴れて」の詠み下しが大変鮮やかである。

金魚田の暗き水面に色動く   松本 義實

 金魚を育てる金魚田は、梅雨どきともなれば水面も暗い。でも、よく見れば水面下に金魚の泳ぐ様子も見える。その光景を「色動く」とズバリと表現した点が秀逸である。

涼風のひとたびとほる机かな   中岡 ながれ
 
 蒸し暑い日、書斎の窓を開けて本を読んでいたら、涼しいかぜが入ってきた。しかし、風は一度切りである。「ひとたびとほる」とさらりと表現し、感性がある。下五は「机かな」と結び、読み手に机上の様子も任せ、余情を感じさせる。

蔵のかげ蕺草の花広がりぬ   三宅 幸枝

 蕺草(どくだみ)は日陰を好み、六月ごろに白い十字の花を咲かせる。白い根は地中深くまではびこり、臭気も強い。土蔵の陰に、蕺草がいっぱい咲いている風景を「広がりぬ」と詠む。まるで、花盛りの蕺草を讃えているようである。原句は、「広がりて」だが、「広がりぬ」の強い表現がいい。

玉子焼匂ふ厨房梅雨湿り   梅本 重一

 台所に玉子焼の甘い匂いが漂う。梅雨どきで空気も湿っぽく、匂いはいつまでも消えない。「梅雨湿り」で、甘い匂いが台所に長く籠る様子も判り、季語の斡旋が大変いい。

青空の広がるプール開きかな   田久和 多惠子

 難しい言葉を使わず、爽やかな青空の下で始まるプール開きの光景をずばりと表現。「青空の広がる」と「プール開き」を併せ、「かな」で結んで感動の思いを鮮やかに描いた。

じやがたらの花の畑に父祖の墓   溝西 澄恵

 先祖代々の墓は畑の中にあり、「じやがたら」(じゃがいも)の花に包まれている。「じやがたら」の原語はインドネシアのジャカルタの古名。江戸時代以降、ジャワ島の意味で、島の産物の「じゃがいも」も「じゃがたらいも」と言ったそうな。歴史のある「じやがたらの花」は遠い祖先の墓にふさわしい。

青梅のぶつかりあつて洗はるる   稲葉 恭枝

 梅干しいする青梅がぶつかり合いながら洗われている。青梅を主語にして詠み、自ら「ぶつかり合う」と梅にも意思があるみたいでなかなか面白い。妙味に溢れている。

青嵐木々の雫を落としゆく   内海 英子

 青葉のころに吹く強い青嵐が、木々に残った雨雫を落とす。「落しゆく」と強調し、青嵐の壮大な動きを表現し、味わい深い。「青嵐(あおあらし)」を「青嵐(せいらん)」と使うのはよくない。

葉裏より触角のぞく髪切虫   池田 善枝
 
 髪切虫は天牛とも書き、立派な顎を持ち、細くて長い糸のような触角が特徴である。昆虫採集の子どもにとっては、甲虫同様に人気がある。掲句から、子どもが長い触角を葉裏から覗かせる髪切虫を見つけ、どきどきしながら手を伸ばす風景も想像でき、楽しい作である。

父の忌の青山椒を噛みしむる   熊谷 キヨエ

 熱する前の青山椒の実。「山椒は小粒でもピリリと辛い」の格言もあるように、小粒でも噛んで見れば確かに辛い。父の忌日に青山椒を噛みしめながら、ありし日の厳しさ、潔癖さ、さらに心の奥の温かい愛情を思い出す。

大社へと細き禰宜道木下闇   大谷 とし子
 作者は奈良在住なので、大社は春日大社と思われる。大社の裏の森には、神官ら禰宜が通う道がある。夏の茂った木々に覆われ、闇のように暗い。「木下闇」の季語を使い、禰宜道の風景を鮮やかに描いた。ねじ花を詠んだ〈文字擦草踏まぬやうにと足もつれ〉も植物の特徴をよく捉え、面白い。

竹夫人燃えるごみの日出されをり  吉田 孟
駅までの一本道や青田風      熊川 多恵子
蓮の花浄土の如き村の池      山田 流水
香水を箪笥に仕舞ふ朝の妻     細野 健二
源蔵てふ居酒屋の名や鱧の皮    山岡 ひろみ
銅剣の出土せし山緑濃き      遠山 美咲枝
七夕竹担ぎて朝の小学校      鈴木 親典
海風や段々畑の枇杷熟るる     福島 教子
梅雨寒や馬の顔似の壁の染み    鷹峰 正龍
夕凪やカレーの匂ふ金曜日     橋本 信義